神話の森のブログ

+古文書の森。 日本の神話や民俗、また近世農村研究

2005年9月の記事



66 電子書斎の"夢" 2005/09/28 書評・その他
65 春と秋とどっちが良いか 2005/09/26 和歌
64 仏教のことば、神道のことば 2005/09/25 神話と伝説
63 秋の彼岸 2005/09/23 歳時記
62 敬老の日 2005/09/20 歳時記
59 1位(学研「最新人気ブログランキング」) 2005/09/17 書評・その他
60 秋の七草といえば 2005/09/16 歳時記
58 十五夜の話 2005/09/15 歳時記
57 生類憐みの令と犬の糞 2005/09/11 動物と神
56 「首相のクーデター」と都市のケガレ 2005/09/10 書評・その他
55 重陽の節句 2005/09/09 歳時記
54 日本風水 2005/09/07 書評・その他
53 沖縄のシラとスデ水 2005/09/05 神話と伝説
52 『歌語り日本史』書評より 2005/09/04 書評・その他
61 トラックバックについて 2005/09/01

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電子書斎の"夢"


20年近く前に、「電子書斎」という言葉を耳にして自分で試みたことがある。といってもWindowsもなかった当時では、1台のデスクトップパソコンが広辞苑を検索するための専用機になっただけだった。今はインターネットにつなげておけば、辞書や事典のサイトもあるし、文献テキストを公開しているサイトもある。そのほか一般のWEBページの情報は玉石混交だが、Googleなどの検索エンジンで調べることもできる。
それでもよく使う市販のCD-ROM事典類がある。

『平凡社世界大百科事典』 日本を代表する百科事典で、記事は小論文形式といってよい。気になる記事があったら執筆者名で全文検索すると関連情報も広がる。難点は、たとえば示扁(しめすへん)などの漢字で今のJIS書体では字形が「ネ」の形になっているものも「示」の字形で表示するなどのため、外字が多用され、コピーすると外字は文字化けすること。

『国語大辞典(新装版)』小学館 Windows95パソコンに付いてきたCD-ROM「Microsoft Bookshelf Basic 96」に収録。たまにではあるが貴重な項目があるのに気づく。俗語風の使用例についての説明も詳しい。

『広辞苑』 1つのテキストファイルにしてしまってエディタで検索している。そうしておけば紙の辞書のように、調べようと思った項目ではないその前後の記事に寄り道することも可能。

『二十一代集』(岩波書店) これもテキストにしてしまった。このCD-ROMは江戸時代の版本を元にしたといい、仮名遣も版本のまま。つまり古今集など二、三の歌集以外では、明治時代に確立した歴史的仮名遣で検索しようとしても一致しないことがある。二十一代集にはない万葉集は若き日に入力しておいた折口信夫『口訳万葉集』を使用している。夫木抄も欲しい。

『平成祭データ』(神社本庁) 神社の由緒など公式の資料を収録。

そのほか『新潮文庫の100冊』に柳田国男「遠野物語」がある。

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春と秋とどっちが良いか?


春と秋とどちらが良いかとは、今の日常会話でも話題になる。
万葉集巻一に額田王の有名な歌がある。

  冬ごもり春さり来れば、
  鳴かざりし鳥も来鳴きぬ。咲かざりし花も咲けれど、
  山を繁み入りても取らず。草深み取りても見ず。
  秋山の木の葉を見ては、
  黄葉をば取りてそ偲ふ。青きをば置きてそ歎く。
  そこし珍らし。秋山われは

春がくればそれまで鳴かなかった鳥も鳴き、咲かなかった花も咲くが、山は繁り草は深いために、入って取ることも見ることもできないという。
秋になると、山は紅葉し、紅葉を取っては思い、青い葉はそのまま置いては歎き、そういう秋の山は愛でるべきものであるという。
「山を繁み草深み」とは立夏を過ぎた時期にあたるようであり、そこまでを「春」に含めるのだろう。

手に取ることもできない高嶺の花では価値が解らないという率直な判断である。春と秋を対比させること自体に外来思想の影響が見られるとの評釈もあるが、判断内容は、人間世界から切り離されたところで抽象的な論理を組み立てるのではない日本の古代の発想なのだろう。

引用の歌は折口信夫『口訳万葉集』によるが、他の本では最後の1行が「そこし恨めし秋山われは」となっていることが多いと思う。
9月20日に引用した歌
「物皆はあらたまりたり。よしゑ、ただ、人は、古りにし宜しかるべし」は
「物皆は新しき良し ただしくも人は古りにし宜しかるべし」となっていることが多い。

万葉集は個人的に20年以上前に全ての歌をタイプして保存しておいたものからコピーしています。折口信夫は没後50年が過ぎて著作権が消滅したようなので、私のファイルを希望者に配布する用意もあります(ただし詞書を略してタイプしたものです)

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仏教のことば、神道の言葉


ひろさちや氏に、"知らずに使っている仏教からきた日常語"といったような内容の本があったような記憶があるので、書棚を探したら、同氏の監修による『仏教のことば 早わかり事典』(主婦と生活社)があった。

食堂、大袈裟、普請、勘定、会釈、行儀、行水、ろれつ、……、そのほか、仏教にゆかりする日常語が多数解説されている。たとえば会釈とは、「利会通釈」の略で、矛盾するかに見える理論を照らし合わせて相通じる意味を求めること、転じてお互いが理解しあい心配りをすること、という説明がある。

日本人の宗教のもう一つの重要な柱に神道があるが、神道からきたこのような言葉を探すのは意外にたいへんかもしれない。
最近よく耳にする言葉では、官僚のアマクダリとか、当選した汚職議員のミソギは済んだとか、良い言葉ではない。古くからの言葉ではオハライ箱というのがあり、伊勢神宮の御札を納めた箱のことで、御札は1年でとりかえられて御用済みになるからそういうとの説もあるが、別の説もある。仏教からの言葉でもオシャカになるという。

仏教の言葉は、外来した当時のまま語形が変化しないで残っている。行燈などは読み方まで中世のままである。それに対して大和言葉でものの名前を言ったとき、あまりに日常語すぎて語形が変ったり、言葉そのものが入れ替わったりしてしまう例も多い。行燈そのものは特に仏教というわけではないのだが、仏教とともに外来したときのインパクトがそのまま残ったのだろうか。

それでも神道らしい言葉を探すと、まづ「から」がある。"一族"という意味の同胞(はらから)、輩、朋がら、そして、人柄、家柄、さらに神柄という言葉もあった。似たような意味の「スヂ」は、血筋のほか、沖縄のスデ水などとも通じる。胡座(あぐら)や櫓(やぐら)の「くら」も神座と関係する言葉である。

名詞ではなく動詞という観点からみると、日本の神名、特に女神の名に、動詞と言える言葉がそのまま使われている例が多いのに気づく。天照大御神、下照姫、玉依姫、木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)、宗像の多紀理姫(たぎりひめ)と湍津姫(たぎつひめ)など。

良い意味の言葉に出会っても、文学的情緒的に感動してしまって、分類してメモしておこうという気持ちにならないのも大和言葉なのかもしれない。
いづれにせよなかなか先が見えないでいる。

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秋の彼岸


彼岸花彼岸といえば先祖祭、墓参り。仏教色をともなって説明されることも多いが、インドや中国にはない日本だけの行事であるらしい。

大和言葉で、春・夏・秋・冬のうち、冬(ふゆ)という言葉が最も新しく、古今集の時代でも「冬の歌」とされるものはわづかで、しかも雪と梅が同時に詠まれたりするような歌が多い。これは冬という季節の分類の観念が新しいものだからだろうと池田弥三郎氏が述べていた。
秋の稔りを祝う新嘗祭は旧暦11月で四季の冬に当り、新穀を神に捧げてのち、神から戴く来年のいのちのようなものが「みたまのふゆ」といわれ恩頼と書いてそう読ませる。「みたまのふゆ」は秋から春を迎えるために必要なものだったのだが、これが冬の語源だという説もある。

それはともかく、夏(なつ)という言葉も次に新しく、はるか古代には、春と秋、という二つが交互にやってくるという観念だったらしい。そして二つの替わり目の行事が、盆と正月である。
そして春と秋のそれぞれの中の中心となる行事があった。現代の神社の祭礼で春祭りと秋祭りを重視するのはそれを伝えているのだろう。
あるいは春分・秋分のころに、自然を尊び、祖霊に感謝することが行なわれ、それが仏教の知識と習合して彼岸の行事になったらしい。自然を尊ぶとは、太陽を中心とした自然の恵みに対してであり、日を拝むことから、日拝み→ヒヲガミ→ヒガンという語源説まである(日に願をかけるというのもある)。ともかく、太陽が真東から昇り真西に沈むころに、日に向かって拝む行事がさまざまあったということである。

昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では、
 春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、
 秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」
と規定されている。
しかし現在では「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」であるという意識はかなり薄れてしまって、先祖祭一色になっているようなところがある。けれども60年近く前のころは、そうではなかったのだろう。五、六十年単位でも人々の意識はこの程度には変ってしまうものなのである。この法律では、春分の日と秋分の日の趣旨が好対照に説かれているが、当時はそのような傾向があったのかもしれない。しかし自然を讃え、祖先を敬うことは、春秋共通のことであったらしいのである。

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敬老の日


昨日が敬老の日。
この祝日が戦後制定されたころは9月15日だった。なぜ9月15日になったかについては、兵庫県多可郡の八千代町で、町長が農閑期を利用して「としよりの日」を定めたことから国民の祝日となったらしい(Wikipediaによる)。

一説によると、聖徳太子が四天王寺に悲田院(古代の養老院のようなもの)を建立した日であるとか、あるいは元正天皇が美濃国の養老の滝に行幸した日であるともいわれる。
参考 http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/09/keiro.htm
これらの説は単なる俗説であるとされているが、わづか20〜30年のうちに付会されて流布されたことになる。この日についての解説した出版物等が少なければ、こうした説を出典を示さずに複数の人が引用しただけでそれらしい説になってゆくのかもしれない。

それはともかく、美濃国の養老の滝の伝説で、元正天皇が行幸されたのが霊亀3年(717)9月中旬のことだったから、という説は、なんとなく魅力があり、農閑期云々の話よりも、老いについての日本人の考え方をよく反映しているように思えてしまう。養老の滝の水(湯?)は、一種の変若水(おちみず)でもあった。

  古(いにしへ)ゆ人の云ひ来(け)る老い人の変若(を)つとふ水そ。名に負ふ滝の瀬   大伴東人

老人の価値を歌った万葉歌(折口信夫訓読)。

  物皆はあらたまりたり。よしゑ、ただ、人は、古りにし宜しかるべし 万葉集巻10

こんな歌もある(入間川が逆流する場所で詠んだという)。

  立ち寄りて影をうつさば、入間川、わが年なみも逆さまに行け  道興

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"眞鍋かをりの読まれるブログにするための10ヶ条"なども掲載。
YusanのBar -Cocktail Club Always-に選考基準の引用紹介あり。

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秋の七草といえば


秋の七草といえば、万葉集の山上憶良の歌がある。

  萩が花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花また藤袴 あさがほの花  山上憶良

「あさがほ」とは今の桔梗のことだともいう。
春の七草がすべて食用で、長寿を願う若菜摘みなどの多彩な民俗を形成しているのに対して、秋の七草はおもに十五夜などでの鑑賞用とされる。あるいは七夕やお盆でも飾られ、神霊の依代であるとする説もないわけではない。
山上憶良の歌は、秋の野では種々の草花を見ることができるという趣旨の歌で、歌われた七つだけにこだわる必要はないのだろう。

埼玉県秩父地方では秋の七草にちなんだ七つのお寺があるそうだが、秩父の城峰山には平将門の愛妾だった桔梗の前の悲劇の伝説もある。
ほかに、宮城野の萩武蔵野の尾花吉野の葛などがよく知られる。
次の有名な歌は長崎県の壱岐で詠まれた。

  葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり   釈迢空

参考 春の七草

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十五夜の話


旧暦8月15日の夜が十五夜、今年は9月18日に当る。
八幡宮や八幡神社の例祭がこの日であることが多かったが、現在は月おくれの9月15日の祭とするところが多い。

  石清水すみける月の光にも昔の神を見る心地する  後鳥羽院

十五夜では、縁側に月見だんごや柿の実やすすきなどを供え、江戸時代のころから江戸の庶民の風流な行事とされた。江戸のやり方が全国に広まりつつあるようではあるが、地方の習慣では、供えるのは、だんごではなく里芋であることが多い。すすきでなく稲穂である例もある。和歌山県西牟婁郡では、高い竿の先に稲穂と芋を結びつけて庭先に立てるという。月に届くかのような高い竿ではあるが、竿自体は神の依代だと考えられているらしい。元は稲の収穫祭ではないかとも言われる。沖縄では、十五夜の前後の旧暦8月には、祖霊の祭と稲の収穫祭が行なわれるそうだ。

芋に着目してゆくと、稲作以前の、芋栽培の収穫祭ではないかという見方もある。十五夜の里芋(またはだんご)は、子どもたちが盗んでも良いとされてきた。もとは大人が盗んでも良かったらしいが、その場合、量に制限があり、盗んだしるしに藁づとなどをその家に置いて来なければならないなどのルールがあった。盗まれた家からすれば、神に供えた芋を神が持ち去ったものと考えて、喜ばしいこととされたという。

あるいは、正月の雑煮が餅でなく里芋が主だった地方があり、十五夜にも里芋を食べた。雑煮の餅が四角でなく、丸い餅の地方では、もとはそういう「里芋の文化圏」だったような傾向もあるらしい。
芋のなかでも特に里芋が好まれるのは、里芋の葉にたまった露が七夕で月の神に供えられたこととも関係しているのだろう。(七夕の記事を参照)

  月ごとに見る月なれど このつきの今宵の月ににる月ぞなき 村上天皇

(「つき」は杯の意味の古語の「つき」を掛けていて、杯に映った月を見ている風情である)

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生類憐みの令と犬の糞


犬はときには神としてあがめられたこともあったが、そういう話は別の機会にして、今回は、日本史上の不可解な事件の一つである江戸時代初期の「生類憐みの令」について。

五代将軍徳川綱吉は、幕政を安定させた力のある将軍だったが、独裁的でもあり、晩年には個人的で観念主義的な思考に傾く傾向があったともいう。「生類憐みの令」もそういう観念主義の所産なのだろうという歴史家の説が多い。とはいえあまり納得のゆく説明ではないと思っていたら、10年くらい前に読んだ歴史読本という雑誌に、面白い説が載っていた。

それによると、当時は外様大名などの藩の取り潰しが多く、職を失った下級武士や、また農家の二男以下などが大量に江戸の町に住み着くようになった。彼らは飢えをしのぐために犬を殺して食うことも多かったが、江戸の町には犬が少なくなると困る事情があった。それは、犬のエサはおもに人糞だったことから、犬が減れば江戸の町は人糞だらけの非衛生の町になるというのだった。

確かに同じ時代のヨーロッパでは都会は悪臭立ち込める町だったらしく、江戸は世界一衛生的な大都会だったという。衛生的になったおかげで、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われるほど犬が増えたが、犬の糞の量は人糞より少量で臭いも少なかったのだろう。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とは、犬も食わない糞以下の価値という意味でなる。
ともかく都市のケガレともなりかねない人糞の山を、犬が浄化してしまうことは、犬のちからの底知れなさを、都市の人々は実感したことだろう。

他方、地方では、犬に糞を食われた子どもは身体が弱くなるという俗信もあった。地方では毎日の糞の処理にはあまり困らず、また野でも山でも所かまわず致すことへの戒めも必要だったのだろうと思う。古代には髪や爪や唾などを祓つ物(はらえつもの)として神仏に差し出すことも行なわれた。あるいは他人に預けらたそれらのものに呪いをかけられると、元の持ち主の生命に危機が及ぶという信仰もあった。その延長で、犬に糞を食われると身体が弱くなると言われたのだろう。

拾ってきた犬の糞を妊婦の腰の上で、呪文をとなえながら振ると、お産が軽くなるといわれた地方もあった。一般に犬のお産は軽いことから、お産に関する習俗の中には犬に関連することも多い。

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