翁の知恵

数ヶ月前から「翁の知恵」ということを考えていた。
人間五十を過ぎれば「翁」であろう。
巷では「おばあちゃんの知恵」と称して、家事に関しての古くからの知恵が、意外に理にかなったものであり、人の心も豊かにするような、そんな伝承の価値が再認識されている。それに対しての翁の知恵のことである。
そういうのが高齢化社会の新しい文化になったら良いのではないかと思った。

『老人力』という十年以上前のベストセラーをもう一度開けばヒントになるかと思ったが、たまたまコンビニで売っていた『中央公論』の新年号の、山崎正和氏の言葉が面白かった。
簡単にまとめてみると、もともと江戸時代の文化は、大田蜀山人をはじめ中高年が文化の担い手であったという。若者はもっぱら肉体労働に従事し、文化の作り手は中年以上の旦那衆や御隠居衆だった。吉原も若者が行く場所ではなかった。
江戸時代以前は世界中がそうであり、明治以後の日本だけが若者文化中心になりすぎているらしい。芥川賞も青春文学ばかり。
日本の古典の教養よりも、西洋文化の聞きかじりが優位にまかり通ってしまった時代、教養が省みられず、単なる技術的な知識だけが蔓延してしまった時代、ということになる。

そんなことをヒントに考えて行けたら良いと思う。すぐに役に立ちそうに見えない教養というものは、しかし中高年になって初めてボディーブローのように効いていることがわかってくるものである。
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"深層水「湧昇」、海を耕す!"

長沼毅10月中に発行された本で、"深層水「湧昇」、海を耕す!"(長沼毅著・集英社新書)を、楽しみながら、また感心しながら読んでいる。
「100億人を養う海洋牧場時代がやってくる」「食の糧を海に求める壮大なロマン」と紹介されている。

折りしもマグロ漁獲量削減の問題が持ち上がったとき。人類の食糧は陸地の田畑ではまかなえなくなり、生命の故郷である海に向わなければならないというのは本当にそうなるのだろうと思う。

日本の神話物語でも、須佐之男命は海原を支配し、同神説もある月読命は「夜の食国(おすくに)」を支配したという。「食国」とはどんな意味だったろうか。
また海幸彦と山幸彦の話では、海底には海神宮(わたつみのみや)や竜宮があるといい、常世国へ旅立った幾柱かの神々の様子は、常世国が海の果てにあったように描かれる。大祓の祝詞では、海底にある「根の国・底の国」が全ての罪と穢れを清めてくれるという。

さてこの本の見出しを拾うと、「森は海の恋人」「大陸移動がクジラを生んだ」「どこでもドアの意外な盲点」などという言葉が見える。
海や海流などにまつわるさまざまな伝説や小説から漫画にいたるまで引用されている。第3章の最後には、瀬戸内海の「浮き鯛」について書かれ、当ブログ関連サイトの「神話の森、歴史と民俗館」が紹介されているのは、嬉しい限りである。
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敬語が乱れる理由

NHKテレビで韓国の宮廷ドラマをちらと見たら、身分の高いと思われる人たちの言葉遣いが、ぞんざいで品がないことに違和感をおぼえた。2,3年前に某人気狂言師のシェイクスピア劇(翻訳劇)を観たときも同様の印象を持った。王子が自分のことを「俺」などと言ってみたり、そのほか要するに丁寧語すら使わないのだった。

「敬語が乱れている」とは、このことだろうと思った。学校敬語の分類でいう尊敬語と丁寧語と謙譲語の区別がわからなくなってしまった現象の一つなのだろう。身分の高い人は下の者に対して敬語一般を使わず、だから丁寧語も使わないのだろうという誤解である。

日本のドラマや映画でも似た傾向はあるのだろうが、いくらかは「まろは」とか「〜してたも」とかいう言葉は今の人にも理解されていると思う。「〜してたも」とは「〜して賜へ」が縮まったものなので尊敬語ということになるが、下の者に対しても使われる。これを語源は尊敬語だが下の者に使うときは丁寧語などと分類したがる人もいるのだろうか。それは不明だが、それぞれの職能などを尊重すれば下の者にも尊敬語を使うことはありうることである。それは人間の社会にとって非常に大切なことだと思う。

現在なぜ敬語が乱れるのか。その理由は簡単なことだと思う。
敬語は人間の上下関係で使いわけるものだと教えられているにもかかわらず、立場や権力が「上」にある人物の多くが、尊敬に値しない人物だからである。無理に使おうとしても、尊敬の気持ちが伴わないからである。

敬語を守るということなら、必要なことは、形式だけのルールを学校で教え込むことよりも、「上」にある者すべてが尊敬に値する人物にならなければならないということだろう。
しかしそれが難しいことであるなら、同じ立場の者どうしや、下の者に対しても、ちょっとした敬語を使う生活も良いのではないかと思う。

赤の他人に対して敬語を使うという慣習は昔からあったのである。それも崩れかけている印象がある。
これらも、近年の日本人が中国や韓国朝鮮の悪口を平気で言えるようになってしまったことや、ちょっとでも異質な子供をいじめるような風潮と無関係ではないのだろう。
言葉が社会を映しているということだろう。
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忠臣蔵雑談

 忠臣蔵についてのおしゃべりは、話し手も何故か熱がこもり、面白いものがある。
 ところで歴史学者や考証家の話では、江戸時代には、賄賂や悪代官はあまりなかったらしい。田沼意次の事件でさへ微々たるものであったといふ。しかし吉良家が石高は低くも位が高いといふのは、教授料などの収入があったのだらうし、茶道を始め専門知識を尊重して対価を支払ふ文化的な慣習は賄賂ではないのだらう。
 考証家の稲垣史生氏によると、浅野家は勅使饗応役は二度目であり、物価の高騰にもかかはらず前回並みの予算額で行はうとしたといふ。また、松の廊下の事件のあった年の元旦、各藩の江戸登城中に皆既日食があり、大混乱となったが、浅野家だけは科学的に解釈して平然と登城した。浅野家のこのような合理的な解釈は、山鹿素行の学問の影響によるものらしい。
 勅使の接待で重要なのは、贅沢といふのでなく、歌や学問なども重要と思ふが、当時の思想的な対立について調べるのも面白いかもしれない。新しい檀家制度普及初期の宗教的混乱の時代で、殉死の風も色濃かった時代など
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