神話の森のブログ

+古文書の森。 日本の神話や民俗、また近世農村研究

藤原宮の運河


昨日の新聞で「藤原宮に大規模な運河跡」という記事があった。ネットからも見られる。

「日本最初の都市計画に基づく都、藤原京(奈良県橿原市、694〜710)を造営するために資材を運んだとみられる運河跡が、中心部の藤原宮跡を南北に走り、総延長500メートルに及ぶ大規模なものであることがわかった。奈良文化財研究所が24日発表した。北東に延びる支線と推測できる溝も見つかった。同研究所は「運河は網の目のように張り巡らされていたのではないか」と推測している。 」
http://www.asahi.com/national/update/0924/OSK200809240116.html

記事の後半にある、近江国田上山から材木を運んだ民の歌とは、次の歌のことだろう。

安治ししわご大君、高光る日の皇子、荒栲の藤原が上に、食す国を見し給はむと、大宮は高知らさむと、神ながら思ほすなべに、天地も寄りてあれこそ、石走る淡海の国の衣手の田上山の、真木さく桧の爪手を、もののふの八十宇治川に、玉藻なす浮べ流せれ、そを取ると騒く御民も、家忘れ身もたな知らに、鴨じもの水に浮きゐて、わが作る日の御門に、知らぬ国、寄りこし路よりわが国は常世にならむ、書フミ負へるあやしき亀も新世と、泉の川に持ち越せる真木の爪手を、百足らず筏に作り、上ぼすらむ、勤はく見れば、神ながらならし(万葉集巻一 50)

宇治川から藤原宮まで運河でつながっていたということになるのだろうが、
運河については、他に思い当たる万葉歌がある。

 大君は神にしませば、赤駒のはらばふ田居を、都となしぬ(大伴御行 巻十九 4260)

詞書に壬申の乱の後の歌とあり、大君とは天武天皇のことで、都は藤原宮である。従来の解説では、赤駒は農耕馬で、田を都とするほど大君の威力は絶大なのだという意味だといわれていた。

しかし、運河の風景を詠んだ歌なのではないかと思った次第。
藤原宮に井桁のように張り巡らせた運河は、田のように見えたであろうし、運搬のために運河に馬が入ることもあったようで、水深は馬の腹まであったということになる。馬が腹這うように見えるほどの深さの田というのは、現実的ではないのではなかろうか。

ともかく、藤原宮は運河と水の都であったらしい。

 大君は神にしませば、水鳥のすだく水沼を、都となしぬ(同 4261)

comments (0) - 編集
1/1