生類憐みの令と犬の糞

犬はときには神としてあがめられたこともあったが、そういう話は別の機会にして、今回は、日本史上の不可解な事件の一つである江戸時代初期の「生類憐みの令」について。

五代将軍徳川綱吉は、幕政を安定させた力のある将軍だったが、独裁的でもあり、晩年には個人的で観念主義的な思考に傾く傾向があったともいう。「生類憐みの令」もそういう観念主義の所産なのだろうという歴史家の説が多い。とはいえあまり納得のゆく説明ではないと思っていたら、10年くらい前に読んだ歴史読本という雑誌に、面白い説が載っていた。

それによると、当時は外様大名などの藩の取り潰しが多く、職を失った下級武士や、また農家の二男以下などが大量に江戸の町に住み着くようになった。彼らは飢えをしのぐために犬を殺して食うことも多かったが、江戸の町には犬が少なくなると困る事情があった。それは、犬のエサはおもに人糞だったことから、犬が減れば江戸の町は人糞だらけの非衛生の町になるというのだった。

確かに同じ時代のヨーロッパでは都会は悪臭立ち込める町だったらしく、江戸は世界一衛生的な大都会だったという。衛生的になったおかげで、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われるほど犬が増えたが、犬の糞の量は人糞より少量で臭いも少なかったのだろう。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とは、犬も食わない糞以下の価値という意味でなる。
ともかく都市のケガレともなりかねない人糞の山を、犬が浄化してしまうことは、犬のちからの底知れなさを、都市の人々は実感したことだろう。

他方、地方では、犬に糞を食われた子どもは身体が弱くなるという俗信もあった。地方では毎日の糞の処理にはあまり困らず、また野でも山でも所かまわず致すことへの戒めも必要だったのだろうと思う。古代には髪や爪や唾などを祓つ物(はらえつもの)として神仏に差し出すことも行なわれた。あるいは他人に預けらたそれらのものに呪いをかけられると、元の持ち主の生命に危機が及ぶという信仰もあった。その延長で、犬に糞を食われると身体が弱くなると言われたのだろう。

拾ってきた犬の糞を妊婦の腰の上で、呪文をとなえながら振ると、お産が軽くなるといわれた地方もあった。一般に犬のお産は軽いことから、お産に関する習俗の中には犬に関連することも多い。
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