邪馬台国

今日の邪馬台国のブームのきっかけとなったのは、長崎県島原市の盲目の作家・宮崎康平の著作『まぼろしの邪馬台国』(講談社 1967年1月)であるといふ。
筆者は、学習研究社の雑誌『中学一年コース』か『二年コース』で、同書の紹介記事を読んだ記憶があるので、1967年の早い時期といふことになる。
1967年は、手塚治虫の「火の鳥・黎明編」が雑誌『COM』に連載された年であり、「火の鳥」には邪馬台国や卑弥呼が登場する。最初に読んだのは6月号だった。作品に登場する騎馬姿の征服者は、無気味で奇妙に思えた。
『まぼろしの邪馬台国』は1965年から雑誌に連載されたものを単行本化したとのこと。「火の鳥・黎明編」の最初の単行本は1968年。

こうしてみると、邪馬台国ブームの初期のころから、関心をもってゐたことになる。

ブームを作ったもう1冊は、井上光貞『日本の歴史 第1巻 神話から歴史へ』 中央公論社 1964年初版だそうで、これを読んだのは、数年後、1969年ごろだった。
そのほか、松本清張の『古代史疑』(1968)なども有名だったらしい。『清張通史』は東京新聞連載時に読んだ記憶があるが、1976年。有明海が博多湾までつながってゐたような想定があったような気がする。

井上、宮崎、手塚、松本、4人とも邪馬台国九州説である。
邪馬台国畿内説には、ベストセラーといふものがあったかどうか記憶にないが、横綱が東西に2人あるような配置が日本人に好まれるためだらうか。

このごろは、論証もなく「近年は畿内説が有力云々」と書き始める人が目立つが、いつからそんなふうになったのだらうか。それについては1つの仮説をもってゐる。
九州説が圧倒的に優勢といはれた時代は、文化人の反中央集権的な心情が裏にあったといへなくもない。一方、畿内有力説の拡散は、冷戦終結後の新自由主義イデオロギーの反映ではないかといふものである。東京都の人口増は頭打ちの傾向があったのだが、新自由主義の時代に増加に転じた。地球温暖化説も、異論が多く、新自由主義イデオロギーの虚構だったことになるかもしれず、そんな世の中の反映ではないかと思ふ。

最近は、畿内出身であるが九州説をとる森浩一氏の本、『倭人伝を読み直す』(ちくま新書 2010) を読んだ。
【倚松帖より】
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