つげ漫画と伊勢の御札

 つげ義春の漫画『会津の釣宿』という作品では、洪水のときに、床屋の風呂桶が流されて、しかも中に娘が入った状態で流されたいう奇妙な話がある。
 大水で桶が流れてくることはよくあることだろう。そこから、「桶→風呂桶→娘が入ったまま」と連想が働いたのだろうか。
 温泉の宣伝パンフレットでも、温泉に入っているのは若い女性ときまっているのだから、大水で流された風呂桶に入っているのも、娘だということになろうか。

 あるとき、柳田国男対談集かなにかに収録の座談会の記事で、似たような話を読んだことがある。幕末のころ伊勢参りの集団が「ええじゃないか」の掛け声で踊りながら東海道を練り歩いていると、空から伊勢の御札が降ってきたという話があるが、御札だけでなく風呂桶が降ってきたという伝聞のような話について語られていた。やがて、話が少し変化して、降ってきた風呂桶には若い娘が入っていたという話になっていたそうである。
 これも奇妙な話である。風呂桶といえば若い娘が加わるのは、前述の通り、噂話のレベルではよくあることだろう。しかし御札といっしょに風呂桶が降るというのは、飛躍がありすぎないかと思ったわけなのだが、よく考えてみると、以下のように、ただの駄洒落なのだった。

 即ち、オケとは、古くは麻笥(をけ)などと書き、繊維の麻を入れる桧の曲げ物の容器のことを言った。
 伊勢の御札は、「御祓い大麻」とも言うように、麻を含むもので、桧の箱に入っているものもある。桧の容器に入った麻であるというのは、麻笥と共通する。したがって御札が降ったのなら、桶も降るいう連想が働いたのだろう。
 あとは「桶→風呂桶→娘入り」と話に尾ヒレが付いてゆくのは、前述の通り。

 以上は、数年前に書いておいたものなのだが、今回、柳田國男の座談会の出典が判明した。
 文藝春秋の文春文庫『妖怪マンガ恐怖読本』(1990) である。対談集などの本を探して見つからず諦めていたところだった。昭和初期の雑誌『文藝春秋』から再録の座談会である。菊池寛、芥川龍之介なども同席している。

comments (0) | trackbacks (0) | Edit

公益法人としての宗教法人

公益法人とは、法理用語であるが、広辞苑では次のように説明されている。

「公益法人  宗教・社会教育・慈善・学芸その他公共の利益を目的とし、営利を目的としない法人。⇔営利法人。」

公益法人にはどんなものがあるかというと、
宗教法人(神社や寺)、学校法人(私立学校)、医療法人(病院、診療所)、社会福祉法人、社団法人、財団法人、などである。
そのうちの、宗教法人は、宗教法人法によって、学校法人は私立学校法によって、その要件や、認証。認可の手続きが定められている。

最近の旧統一教会をめぐる言説の中に、宗教法人が税制で優遇されるのは信教の自由を保護するため、というのがあるが、それは十分には正しくないであろう。優遇される理由は、学校や病院や福祉施設と同様に、公共の利益を目的とした公益法人の一つだからであろう。

旧統一教会も宗教法人であるので、公益法人の一つである。問題は、公益法人の名にふさわしいかどうかである。

 (2)
 旧統一教会被害者弁護団の紀藤弁護士によると、解決のためには、これまで日本人が経験しなかったような厳しい態度で臨むことが重要であるとのことである。
 日本人は厳しさに欠けるところがあるということだろう。
 阿部謹也『近代化と世間 ---私が見たヨーロッパと日本』朝日文庫
という本の83ページに、次のようにある。

「ドイツでは非優先の道路から優先道路に出るときには絶対に一時停止しなければならない。優先道路を走っている場合には左右に気を配る必要はあるが、スピードを落とさずに走ることが出来る。日本ではそのような場合事故が起こればどちらにも責任があるとされる。したがって優先道路を走っているメリットはほとんどないことになる。このようにドイツでは責任と義務の関係が明白である。」

 同じ日本人どうしなら被害の側が「自分にも責任の一端が……」などと言うのは挨拶言葉としてはよくあることであり、相手も同じ日本人の意識が共有されていて、「とんでもありません。全て自分の落度であって……」と返す関係なら、それで問題なかったのだろう。そうした古い慣習とは別の欲得が入りこんでいる場合は、そうはいかなくなる。また、自分だけの小さい被害だけでは済まない事件になることもある。
 前述の交通事故の事情について、最近はどうだろう。全て保険会社任せになっているので、当事者はよくわかっていないかもしれない。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

  page top