秋の彼岸

彼岸花彼岸といえば先祖祭、墓参り。仏教色をともなって説明されることも多いが、インドや中国にはない日本だけの行事であるらしい。

大和言葉で、春・夏・秋・冬のうち、冬(ふゆ)という言葉が最も新しく、古今集の時代でも「冬の歌」とされるものはわづかで、しかも雪と梅が同時に詠まれたりするような歌が多い。これは冬という季節の分類の観念が新しいものだからだろうと池田弥三郎氏が述べていた。
秋の稔りを祝う新嘗祭は旧暦11月で四季の冬に当り、新穀を神に捧げてのち、神から戴く来年のいのちのようなものが「みたまのふゆ」といわれ恩頼と書いてそう読ませる。「みたまのふゆ」は秋から春を迎えるために必要なものだったのだが、これが冬の語源だという説もある。

それはともかく、夏(なつ)という言葉も次に新しく、はるか古代には、春と秋、という二つが交互にやってくるという観念だったらしい。そして二つの替わり目の行事が、盆と正月である。
そして春と秋のそれぞれの中の中心となる行事があった。現代の神社の祭礼で春祭りと秋祭りを重視するのはそれを伝えているのだろう。
あるいは春分・秋分のころに、自然を尊び、祖霊に感謝することが行なわれ、それが仏教の知識と習合して彼岸の行事になったらしい。自然を尊ぶとは、太陽を中心とした自然の恵みに対してであり、日を拝むことから、日拝み→ヒヲガミ→ヒガンという語源説まである(日に願をかけるというのもある)。ともかく、太陽が真東から昇り真西に沈むころに、日に向かって拝む行事がさまざまあったということである。

昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では、
 春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、
 秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」
と規定されている。
しかし現在では「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」であるという意識はかなり薄れてしまって、先祖祭一色になっているようなところがある。けれども60年近く前のころは、そうではなかったのだろう。五、六十年単位でも人々の意識はこの程度には変ってしまうものなのである。この法律では、春分の日と秋分の日の趣旨が好対照に説かれているが、当時はそのような傾向があったのかもしれない。しかし自然を讃え、祖先を敬うことは、春秋共通のことであったらしいのである。
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