神話の森のブログ

+古文書の森。 日本の神話や民俗、また近世農村研究

歌枕の「森」


暑くなったら森林浴も良いと思い、歌枕などから「○○の森」という呼び名を拾い出してみた。歌もじっくり味わってみたいものである。

古古比の森・子恋(ここひ)の森  静岡県熱海市 伊豆山神社
  ココヒは歌垣の意味のカガヒの転という。
 五月闇、ここひの森のほととぎす。人知れずのみ啼きいたるかな  兼房朝臣

木枯の森 静岡県 藁科川と安倍川の合流付近
 消えわびぬ。うつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露  藤原定家

入らずの森 石川県羽咋市 気多大社の森

阿波手の森  愛知県海部郡甚目寺町
 嘆きのみ繁くなりゆく我が身かな。君にあはでの森にやあるらん 相模

風の森  三重県伊賀町倉部 八風大権現 歌垣の伝説あり
 さくら花障らぬ時津風の森   柳童

誰其(たれそ)の森  三重県上野市市部 誰其明神 これも歌垣の伝説あり
 さ夜ふけて、たれその森のほととぎす。名のりかけても過ぎぬなるかな 藤原経家

老蘇(おいそ)の森  滋賀県蒲生郡安土町 奥石(おいそ)神社
 忘れにし人をぞ、さらにあふみなる老蘇の森と思ひ出でつる 古今六帖

万木(ゆるぎ)の森  滋賀県安曇川町 与呂伎神社
 高島や、ゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを 古今六帖

大荒木の森  京都府 淀水垂町付近?
   アラキはなきがらを安置する場所の意とも。
 人につくたよりだになし。大荒木の森の下なる草の身なれば 凡河内躬恒

衣手の森  京都 松尾大社摂社の衣手社
 もみぢ葉を着てみる人のあまたあれば、主も定めぬ衣手の森 源俊頼

糺(ただす)の森  京都 賀茂川と高野川が合流する地。その北に下鴨神社

はづかしの森  京都 伏見区 羽束師坐高御産霊日神社
 忘られて思ふ歎きのしげるをや身をはづかしの森といふらん 後撰集

鷺の森  京都 修学院 鷺森神社
 比叡の山は冬こそいとど寂しけれ。雪の色なる鷺の森より 慈円

柞の森  京都府 精華町 祝園神社
 はぐくみしこずゑ寂しくなりぬなり。柞の森の散り行く見れば 源俊頼

磐瀬の森  奈良県龍田地方。車瀬の森?。
 神奈備の石瀬の杜のほととぎす。毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ 志貴皇子

浮田の森  奈良県五條市 荒木神社
 かくしてや、なほもまもらむ。大荒木の浮田の森の標(しめ)にあらなくに 万葉集

信太の森  大阪府和泉市 葛葉稲荷神社の森
 恋しくば、たづね来てみよ。和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

生田の森  兵庫県 生田神社の森

さくさめの森  松江市 八重垣神社
 神の代の昔をかくる色なれや、白ゆふ花のさくさめの森    水無瀬氏成

宇那堤の森  岡山県津山市 高野神社
 都出でて幾日といふに、真鳥住むうなでの森に今宵来ぬらん 藤原公実

御笠の森  福岡県大野城市
 うき世にもつゆかかるべきわが身かは。御笠の森の陰に隠れて 藤原良経

気色(けしき)の森  鹿児島県国分市 天降(あもり)川河岸
 うらみにし思ひえざりき。音に聞くけしきの森を見たる人とは 源経信

嘆きの森  鹿児島県隼人町 蛭子神社
 ねぎ事をさのみ聞きけむ。社こそ、はてはなげきの杜となるらめ  讃岐

風の森  鹿児島県
 恨みじな。風の森なるさくら花。さこそ仇なる色に咲くらめ 夫木抄

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日本の海底に沈んだ島と伝説


1年前に「消えた湖の伝説」というタイトルで、この盆地は太古には大きな湖だったという伝説が日本には多いことを書いた。
島が海底に沈んだというは伝説はあまり多くはないかもしれない。

三重県の志摩半島と愛知県の渥美半島の間の海に、太古には大きな島があったという伝説がある。志摩国といい、「御食(みけ)つ国、志摩」というくらい良い漁場だったらしいが、水没してしまったことを惜しんで、伊勢国の東の先を分割して新たに志摩国を設置し直したのだという伝説資料のことが『大日本地名辞書』にある。
シマという国名から後世に付会されたのかもしれないが真偽は不明。中国の神仙思想では東方の海上には不老長寿の仙人が住む蓬莱島があるというが、日本でも古くから同じような伝説があって大和国から東方の島の伝説があったのかもしれない。

西方では、長崎県の五島列島の更に西に「みみらくの島」という島があったともいう。『蜻蛉日記』の作者が、老母の死に際しての話で語っていることから、死後の世界、西方浄土という考えからきたのかもしれない。
しかし地元に高麗島という島が沈んだという伝説があり、柳田国男も調査している。(長崎県五島の暮し

大分県の別府湾には、瓜生島という小さな島があったが、大昔に沈没してしまったために、さまざまな伝説が語られた。しかし最近の調査では慶長元年(1596年)の地震で、瓜生島ほかいくつかの島が実際に沈没したらしい。天武7年の筑紫国の大地震では筑紫地方でも大きな島の沈没があったともいう。(「幻の古地図」と古代の天変地異の話

島根県益田市の沖にあった鴨島も万寿3年(1026)の大地震で水没したらしく、梅原猛氏の『水底の歌』によるとこの鴨島が柿本人麻呂の終焉地だという。
(その他にもあればコメント歓迎です)

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左と右


食卓の上には、左に御飯があり、右に汁物を置く。主食が左であることは、日本では左を優位なものと考えてきた歴史があるらしいからである(例外もあるが)。
一匹の魚は、頭を左にして置かれる。幼児に魚の絵を描かせると決まって頭を左、腹部を下に描くそうだ。人の肖像画も魚と同じ向きであることが多く、左頬を正面に向けて斜めに描かれることが多い。二人並んだ人物の絵では、二人がやや内側を向いて、魚と同じ向き----向って右に描かれた人のほうが、身分などの差がある場合は上であることが多い。日本史の教科書でよくみる源頼朝像は反対の向きだが、あの絵は二枚セットのもので源頼朝ではないという説が最近聞かれる。

「向って右」には、ひなまつりの雛壇では、左近の桜や左大臣が位置する。右近の橘や右大臣は「向って左」である。御内裏様から見て左なので左近の桜といい、左を優位なものと見るのためだが、昔の京都御所での配置も同様でそれにならったわけである。京都で左京区とは御所から見て左側方面のこと。神社の配置も同様で、一対の狛犬の口を開いているほうが社殿から見て左、閉じているのが右である。芸能の舞台でも、舞台から見て左を上手というが、しかしこれは「向って右」のことである。
ややこしくならないためには、地図や建物の配置図を思い描けばよいだろう。真ん中に縦の線を思い描き、右側を上位とみるわけである。神社の参道を歩くときは控えめにして下位の左側を歩く。結婚式では向って右が新郎側である。これは古代の婿入り婚で男性はお客様待遇だったことから来ているのかもしれない。

その新郎の左の傍らには新婦なのだが、雛壇の上の内裏様はどうだろうか。全体の配置から向って右を上位として内裏様、向って左にお姫様という考えも古くから根強い。一説によると昭和天皇の即位礼のときに天皇様の向って右に皇后様がお立ちになられたのが写真映像で庶民の目にするところとなり、それ以来それに習って関東などでは御内裏様を向って左に置くようになったというのがある。実は天皇陛下は向って左ではなく中央に立たれ、そこから見て左側に皇后様が立たれたのである。一番優位なのは左よりも中央である。しかし内裏様については、江戸時代の絵で内裏様を向って左に描いたのを見たことがあるのでなんともいえない。

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少年時代の三冊


岩波新書『日本語の起源』(大野晋著、第一版)を読んだのは、高校生のときで、夢中になって一気に読み切ってしまった。後に出た「第二版」は、まったく書き改められてタミル語との関係が述べられたものだが、第一版は朝鮮語との比較などが述べられていた。記憶はあいまいなのだが、東日本と西日本の違い、縄文文化と弥生文化などについても書かれていたように思う。
大野氏の『岩波古語辞典』は今でもなかなか手放せない。狭山事件の脅迫状の「国語力」の鑑定をしたり、埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣の文の解釈ではワカタケル大王とは欽明帝ではないかという発言なども興味深かった(今の通説では雄略帝説が強い)。

中央公論社の『日本の歴史1神話から歴史へ』(井上光貞著)も高校生のとき刊行まもないころで、何度も読んだ。かなり話題になった本らしく、今は中公文庫になっていると思う。しかし最初の本は古本屋の値段が良かったので売ってしまった。

小学生のころのもので、楠山正雄『日本童話宝玉集』も、繰り返し読んでいた。日本の昔話や伝説などの再話である。その後、講談社学術文庫といういかめしい名前のシリーズで4分冊で再刊されたのも購入した。楠山正雄は青空文庫でも少し読める。

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時を作る鶏


このブログを初めて1年。前半の半年はかなり書いたが、後半は停滞した。停滞時期における思索の中心は、現代の社会についてなかなか結論の出ない難問ばかりについてだった。

さて今日書店で見た本は『日本古代史大事典』(大和書房)、CDROM付きで28000円という良い値段。それは諦めて同じ出版社の『古代日本人の信仰と祭祀』(1997年初版)という論文集を購入。谷川健一「鶏型土器について」という見出しにひかれたからである。
これは古墳時代の初期から終末期までに見られる副葬品の鶏の埴輪について考察されたものだが、このブログで書いてきたこととかなり重複した部分があることが嬉しい。

「数年まえ、愛知県の女子大生が殺されて木曽川に投げこまれるというむごたらしい事件が起った。そのときたくさんの捜索隊が出たが、遺体がなかなか揚らないので、桑名付近の住民が小舟にチャボをのせて探している光景がテレビで映し出されるのを見た。あいにくチャボが鳴かなかったので、遺体を突きとめることができなかった、ということであるが、こうした呪法が現在まで慣習として残っていることに驚きを禁じ得なかった。」(同書)
鶏を使って死体のある場所を探したり、また埋葬場所を決定したりする呪法のことであるが、これに関連することは「鶏の神(ニワタリ神社)」というページにも不十分ながら書いたことがある。不十分な文章だが、中心の発想は間違いないと思う。

暁の鶏の鳴き声を以って終了する各地の祭礼も紹介されていた。「鶏が鳴いたら神は帰らねばならない」とは「こぶとりじいさん」のところでも書いた。
記紀の天岩戸の話では、常世の長鳴鶏を鳴かせて、長い闇夜が終わり、岩戸が開く。
「鶏には他の鳥に見られないトキを作る習性がある」と書かれる。それは朝(あした)を招く鶏ということだが、天岩戸の話のように貴い魂の復活・再生のことでもある。「時を作る」という観念はさらにさまざまな現象をともなって人の生活の中で発見することができそうな気もする。

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