浄見原神社

吉野町南国栖

 壬申の乱のときに天武天皇が住んだ地に、天皇をまつる浄見原(きよみはら)神社が建てられた。

 ○乙女子が乙女さびすも。唐玉を、乙女さびすも。その唐玉を    天武天皇

 持統天皇(天武天皇の皇后)の行幸のときに柿本人麻呂が歌を詠んだ。

 ○見れど飽かぬ吉野の川の、常滑の、絶ゆる事無くまたかへり見む  柿本人麿

 吉野には神武天皇以前に国栖(くず)と呼ばれた土着民があり、朝廷の行事に鮎や栗などの山の幸を献上し「国栖の奏」といふ歌笛を奏した。国栖奏は現在も浄見原神社に伝はる。

 ○かしのふに横巣(よくす)を作り、横巣にかめる大神酒(おほみき)(うま)らに聞こしもち食せ、まろがち  国栖奏の歌(応神紀)