動物についての記事の予定

十二支の動物について、12の記事を書く予定を立てたことがあるが、まだ完成していない。
これまでの記事をふりかえってみると、
ネズミとヨメ
ウシの御前
トラ
月とウサギ

ここまでは2005年の10月に、4回連続で書いた。
その後の「辰、巳」で、龍と蛇をどう区別するかは難しいので、先送りにした。
「午、未、申」も書かれずだが、
「酉」については、カテゴリ 鳥の神話 がある。
犬と猪は書いたことがある。
来年の戌年にちなむ犬の話
生類憐みの令と犬の糞
怒れる猪(イノシシ)

残りは、辰、巳、午、未、申、の5つ。

ほかに、蝶と蟇蛙について。
蝶の魂
『谷蟆考』について
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神功皇后の男装の由来

神功皇后(尾竹国観)新潟市出身の日本画家・尾竹国観(おたけこっかん、1880-1945)の歴史画の挿絵がたくさん掲載された本を古書店で見つけた(昭和4年の講談社の「修養全集」の1冊で金100円也)

画像は、神功皇后が筑紫に建てた行宮の橿日宮(かしひのみや)から新羅征伐に向う前の誓約(うけひ)の場面の絵である。うけひとは占いのようなことである。

日本書紀によると、筑紫の橿日の浦で、神功皇后は、長い黒髪を解いて海水にすすぎ、
「もし良きしるしがあるなら、この髪よ、二つに分かれよ」
と言うと、髪の先が二つに分かれた。皇后はそのまま髪を左右で「みづら」に結い、つまり男性の髪型をつくり、このときから男装したという。

尾竹国観の絵はつやのある場面の絵も少なくない。
神功皇后には、ほかにも、肥前玉島で鮎釣りをした「魚釣の石」の話などが日本書紀に見られる。
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絵経

絵経盛岡てがみ館 http://www.malios.co.jp/~mfca/tegami/
で5月初旬まで行われた「諸資料が物語る幕末の盛岡藩」という企画展のパンフレットに、絵経が掲載されていた。それを見ながら、なんと読むのだろうかと首をひねっていた。
「吉祥陀羅尼」というお経の名前を頼りに、調べてみた。

消災妙吉祥陀羅尼(しょうさいみょうきちじょうだらに)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/shousaijyu.htm

上記ページとは繰返し部分が若干異なるが、「きちじょうだらに」で始まり、最後は「しりえい そもーこー」と読むのだろう。

「そもーこー」は「そわか」ともいうようだ。蜂に刺されたときなどの呪文に「……アビラ、ウンケン、ソワカ」というのがあったが、ソワカとは、仏の誓が成就する意味になるのだろう。
消災妙吉祥陀羅尼は、庶民の大師講や太子講でも、「般若心経」や「大悲心陀羅尼」などとともによく唱えられると、越前の永平寺関連のページにあった。

絵経は文字の読めない庶民のためのものという。全部ひらがなにしないところに、文字や図象に対する信仰があるようにも思う。幕末に流行した「神代文字」に似た点もある。
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伊勢参宮朱印帳2

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昔の伊勢参宮の時期は、正月を過ぎ、稲の種蒔きが始まる前までの、新暦では1月から4月までの時期が多かった。寒い時期に出発するので、行きは春の早い東海道、帰りは中山道を通る例が多いようだ。
明治11年1月22日、駿河国から遠江国へ出て、遠州一宮・小国神社。23日、天宮神社。24日、秋葉神社。
25日三河国へ入り、蓬莱山 東照宮。


26日三河国一宮・砥鹿神社、知立神社。28日、熱田神宮摂社の熱田八劔神社、熱田神宮、29日、津島神社。
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30日、諏訪神社(四日市)、香良須神社(現津市)。2月1日ごろ伊勢へ着いたと思われる。神宮では朱印はない。
最初の小国神社以下3つは、同一人物の筆跡と思う。その他にもそれらしきものがあることから、本人が書いて印だけ受けたことも考えられる。
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明治11年の伊勢参宮朱印帳 1

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明治11年の伊勢参宮の旅の朱印帳である。
明治11年1月12日、武蔵国幡羅郡を発つ(楡山神社)。翌13日、武蔵一宮・氷川神社。14日、埼玉県庁所在地の浦和の調神社。15日、上野の東照宮、神田明神。
明治初年は関東ではやはり徳川氏ゆかりの寺社への信仰は盛んだったようで、のちにも出てくる。東京では明治神宮もまだなく、神田明神が第一番だったのだろうか。

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17日、鎌倉宮、鶴岡八幡宮。一般に参宮の旅では一宮を参拝することが多いが、相模国は源頼朝以来、鎌倉が中心だったのだろう。寺院の朱印も多いのだがここでは全て略す。19日、箱根神社。



20日、箱根を越えて、伊豆国一宮・三島神社(三島大社)。富士宮の富士山本宮浅間神社は立ち寄っていないのは、富士講の信仰は富士吉田の北口本宮が中心だったためか。21日、静岡の久能山 東照宮、「浅間神社神部神社大歳御祖神社」。「*」印以外のリンクは「玄松子の記憶」から。
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境界の茶の木

新茶の季節である。
昭和30年代ごろまで関東の台地地帯ではどこでも茶の木が栽培され、家庭で茶も作られていた。茶を作るときの香りはとても芳ばしいものである。
わが家では茶の木の垣根があった。ある人は、畑の境に植えられていたと言う。垣根も境界ということだから、茶の木には境界を護って邪霊を防ぎとめる何かがあるに違いないと思って、鈴木棠三著『日本俗信辞典』を見たが、境界のことは書かれていなかった。

ネット検索をしたら、実に多くのページで書かれていた。
茶の木は、根が深いので、しっかり居付くようにと、結納に茶は欠かせない。
茶を飲むことは境界を越えることだといい、「峠の茶屋」も単なる休憩場所のことではないのだという。
茶についての慣用句の語源説明も面白いのだが、書く人によって説明が異なるようだ。あまたの茶の師匠はそれぞれ権威があるので、民俗学者はあまり立ち入らないのかもしれないが……。

1ページだけ紹介
http://www.o-cha.net/japan/japan/culture/culture16.html
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