神話の森のブログ

+古文書の森。 日本の神話や民俗、また近世農村研究

酒造地蔵


幕末から明治初期ごろの印刷物で「酒造地蔵」の由緒が書かれているものが出てきた。

酒造地蔵
当山 酒造地蔵菩薩は 海中出現にして
霊験少からず。往古三浦八兵衛一子病疹
悪腫にして落命免れがたきを、当寺に
祈願せしところ全快を得たり。然に病中
一人の童子 月毎に来り 病人を慰む。
折から酒三五献飲勧喜して去。依てその
跡を尋るに当山に入。その後も時々遊
行す。よって諸願を祈るに神酒をそなへ
誠心を籠れば成就せざる事なし。これに
よって諸人 字して酒造地蔵尊と号す。
又は化身地蔵ともいふ。
(画像クリックで拡大)

三浦八兵衛という者があり、その子の重病に際し、ある寺の地蔵尊に祈願した。その後、家に毎月童子が現れるようになり、病の子を看てくれるので、酒をふるまってもてなした。やがて子は全快し、童子のあとを追ってみたら地蔵尊のある寺に入ったので、童子は地蔵尊の化身だとわかったという。

良い話だが、酒造地蔵の所在が不明である。関東近辺ではないかと思う。「海中出現」とあるので、海辺に近い場所かもしれない。

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神功皇后の男装の由来


神功皇后(尾竹国観)新潟市出身の日本画家・尾竹国観(おたけこっかん、1880-1945)の歴史画の挿絵がたくさん掲載された本を古書店で見つけた(昭和4年の講談社の「修養全集」の1冊で金100円也)

画像は、神功皇后が筑紫に建てた行宮の橿日宮(かしひのみや)から新羅征伐に向う前の誓約(うけひ)の場面の絵である。うけひとは占いのようなことである。

日本書紀によると、筑紫の橿日の浦で、神功皇后は、長い黒髪を解いて海水にすすぎ、
「もし良きしるしがあるなら、この髪よ、二つに分かれよ」
と言うと、髪の先が二つに分かれた。皇后はそのまま髪を左右で「みづら」に結い、つまり男性の髪型をつくり、このときから男装したという。

尾竹国観の絵はつやのある場面の絵も少なくない。
神功皇后には、ほかにも、肥前玉島で鮎釣りをした「魚釣の石」の話などが日本書紀に見られる。

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日本七大昔話


むかし、日本七大昔話と呼ばれたものがあって、
「桃太郎」「かちかち山」「猿蟹合戦」「舌切雀」
「花咲爺」「浦島太郎」「一寸法師」
の7つだったと国語学者の金田一春彦氏がエッセイに書いていた。
「桃太郎」以下の4つは戦後になって侵略的ないし復讐物語などの理由で教科書にも載らなくなったとのことで、それならと金田一氏が選んだ7つは、
上の「花咲爺」以下の3つと、次の4つだった。
「鶴の恩返し」(戯曲「夕鶴」にもなった)、「笠地蔵」、
「藁しべ長者」、「炭焼き長者」(芦刈に似た話)
自分を犠牲にしながらも他者をいたわる話、長者の話など、戦中戦後の庶民の生活の味わいがある。

さて平成の現代に、自分でも選んでみると、女性が主役の話も入れるべきと思うので、「かぐや姫」(竹取物語)、「羽衣」。
楠山正雄の「十大昔話」に入っているものから、頓智の笑い話で「ねずみの嫁入り」、動物社会が見える「文福茶釜」。
旧来のものから、「浦島太郎」「花咲爺」「一寸法師」。
以上で7つだが、「ものぐさ太郎」を入れても良かったかもしれない。

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日本の海底に沈んだ島と伝説


1年前に「消えた湖の伝説」というタイトルで、この盆地は太古には大きな湖だったという伝説が日本には多いことを書いた。
島が海底に沈んだというは伝説はあまり多くはないかもしれない。

三重県の志摩半島と愛知県の渥美半島の間の海に、太古には大きな島があったという伝説がある。志摩国といい、「御食(みけ)つ国、志摩」というくらい良い漁場だったらしいが、水没してしまったことを惜しんで、伊勢国の東の先を分割して新たに志摩国を設置し直したのだという伝説資料のことが『大日本地名辞書』にある。
シマという国名から後世に付会されたのかもしれないが真偽は不明。中国の神仙思想では東方の海上には不老長寿の仙人が住む蓬莱島があるというが、日本でも古くから同じような伝説があって大和国から東方の島の伝説があったのかもしれない。

西方では、長崎県の五島列島の更に西に「みみらくの島」という島があったともいう。『蜻蛉日記』の作者が、老母の死に際しての話で語っていることから、死後の世界、西方浄土という考えからきたのかもしれない。
しかし地元に高麗島という島が沈んだという伝説があり、柳田国男も調査している。(長崎県五島の暮し

大分県の別府湾には、瓜生島という小さな島があったが、大昔に沈没してしまったために、さまざまな伝説が語られた。しかし最近の調査では慶長元年(1596年)の地震で、瓜生島ほかいくつかの島が実際に沈没したらしい。天武7年の筑紫国の大地震では筑紫地方でも大きな島の沈没があったともいう。(「幻の古地図」と古代の天変地異の話

島根県益田市の沖にあった鴨島も万寿3年(1026)の大地震で水没したらしく、梅原猛氏の『水底の歌』によるとこの鴨島が柿本人麻呂の終焉地だという。
(その他にもあればコメント歓迎です)

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いざ鎌倉


 北条氏五代目の執権、北条時頼は、僧形で諸国を巡り、地方の実情を視察したという。あるとき上野国の佐野で大雪にあい、とある民家に宿を借りると、家の主は貧しい暮しにもかかわらず、丁寧に僧を迎え入れ、盆栽の梅、桜、松を薪にしてまで暖をとってもてなした。主の名は佐野源左衛門常世。領地を一族の者に奪われて、貧乏はしているが、もしも鎌倉に一大事でもあれば、一番に馳せ参じて命を捧げる覚悟だと語った。それからしばらくして鎌倉で兵を集めるという話を聞いた源左衛門は、「いざ鎌倉」とばかり痩せ馬に乗って駆けつけた。多数の兵の中から源左衛門を見出した時頼は、その忠誠をたたえ、領地や恩賞を与えたという。

 この話は謡曲「鉢木」などで庶民にも親しまれ、源左衛門の痩せ馬を詠んだ江戸時代の川柳もある。

  佐野の馬、戸塚の坂で、二度ころび

 この話は実話ではなく、次の藤原定家の歌から構想されたのではないかといわれる。

  駒とめて、袖打ち払ふかげもなし。佐野の渡りの雪の夕暮れ <藤原定家>

定家の詠んだ「佐野」は紀州熊野付近らしいが、佐野源左衛門の住まいは今の群馬県高崎市上佐野または下佐野あたりだろう。
今の世の中でも、佐野源左衛門のような人はいるのだろうか。そして「いざ鎌倉」のような時は来るのだろうか。

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古代の自殺


昨秋、山田の案山子とクエビコの記事のとき参照した、『谷蟆考 −古代人の自然−』(中西進著)という本は、その副題「古代人の自然」の通りの興味深い内容である。
その中で「古代人の自殺」という一節について。

古代の男性たちの自殺は政治的なものが多いが、女性たちの場合は、ひそやかで一途で、つまりは人間的といえるものだと述べられている。
万葉集で知られる、二人の男の求愛に悩んで大和の耳無池に身を投げた鬘児、生田川の菟原少女、葛飾の真間の手児奈。大和物語の奈良・猿沢池の采女など。
それより古い時代の古事記の話では、たとえば垂仁天皇の時代に、夫である天皇よりも兄を選んだ佐保姫や、姉妹の中で醜女であったために郷里へ帰されたことを恥じて自殺したマトノヒメの時代は、より激しい情念のようなものも感じられる。

ところで、伝説物語に登場する女性たちはみな神に関わった女性たちであるという折口信夫の言葉に従えば、「人間的」であるとともに「宗教的」でもあるのだろう。

同書でも紹介される雄略天皇の皇女、栲幡皇女は、男との不義の疑いをかけられ、身の潔白を証明するために自殺した。皇女は斎宮でもあった。
壬申の乱で敗れて自殺した大友皇子の妃、十市皇女は、勝利した側の英雄、高市皇子に乱後に求愛されていたといわれる。皇女の突然の死は、それが原因の自殺ではないかと思われる。大友皇子が天皇に即位していたとすれば皇女は皇后であり、前皇后への求愛はありうべかざるものなのだろうが、相手方は即位についての認識が異なるのかもしれない。

一般の男性が求愛してはならない女性たちが、伝説物語の主人公になっていったのだろうと思われる。
あえてそれを犯す男は、在原業平のように流浪しなければならないし、光源氏も似たところがあるのだろう。

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『日本歴史伝説傑作選』(学研ムック)


kessaku.jpg学研ムックといえば昨年9月16日の『ブログランキング』のことを思い出すのだが、平成14年発行の『日本歴史伝説傑作選』。「語り継がれてきた昔のこころ」という副題で、34話のエピソードが紹介されている。
「歴史ってこんなに面白かったっけ?」という表現に、なんとなく「ブログランキング」での当ブログへの評価文に似たニュアンスを感じた。それはつまり、最近多い怨霊やら策略政治の視点からの歴史読み物などに、今の若い世代の人が少し飽きてきて、ちょっと古い本を調べたら、もっと興味深い話がたくさんあり、そういった物語に新鮮な驚きを感じたということではないだろうか。

全34話のうち、奈良・平安時代の話では、役行者、中将姫、弘法大師、小野小町、菅原道真、安珍・清姫(道成寺)、平将門、安倍晴明、酒呑童子、安寿姫と厨子王、源頼光の話。
孤高の英雄の話や、古い信仰の奇跡のような話が目立つ。

当管理人としては、これらのほか、文学や芸能や職能について見落とすことはできないと思うので、東国を旅した在原業平、琵琶法師の蝉丸、木地師の祖とされる惟喬親王の話などを追加したいところである。

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美少年の伝説


日本の女性の伝説では、きっと皆神事にあづかった女性たちだろうということでしたが、伝説物語の中の少年については、神仏に深く関った少年たちであったことが、よりはっきりしています。

近江国の愛護の若は、死後に日吉(ひえ)山王権現として祭られますが、継子いじめの話あり、多彩な職能民も登場する波乱万丈のドラマです。

江の島絵葉書山王権現の申し子といわれたのが江戸向島の梅若塚の伝説の梅若です。
同じ梅若という名の少年が登場するのが秋夜長物語(あきのよのながものがたり)で、近江の三井寺や比叡山が舞台のドラマチックな筋立です。
江戸の梅若とよく似た話が常陸国桜川の桜子です。

紀州の高野山の石堂丸の伝説も、哀れではありますが美しい物語です。
以上の少年たちは寺の稚児だったのですが、相模国、江の島の稚児が淵の白菊の伝説もよく知られます。(画像は江の島の古い絵葉書)

いづれも中世ごろの話で、神仏習合時代になって、古代の女性の伝説に並びうるように盛んになっていったようなところもあります。源義経の伝説も美少年の物語でした。

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逆さ言葉の「入間様(いるまよう)」


『入間川』という狂言がある。
ある殿様が武蔵国の入間川まで来て、川を渡ろうと思い、土地の者に浅瀬はどこかと聞くと、ここは深いと言う。殿様は、場所が入間なので入間様(いるまよう)の逆さ言葉なのだろうと考え、本当は浅いのだろうと川へ入ると、深みにはまってしまう。
びしょぬれで岸に上がった殿様は、怒って男を成敗しようと言い出すが、男が言うには、「成敗」とは入間様なら「助ける」という意味だと喜んでみせる。殿様はそれを面白がって、褒美を与えるが、褒美を与えたことも入間様だと言って取り戻すという話。

こういう逆さ言葉、アベコベの言葉は、子どものころの遊びで、よく言い合って遊んだことがある。

16世紀に書かれた『廻国雑記』という紀行文に入間川の逆流のことが書いてあったのだが、紀行文の作者は、川が逆流すると言われて信じたのだろうか、と思ったが、そうではないともいう。
入間様は「入間詞(いるまことば」ともいい、「大辞林」には「入間川が逆流することがあったので名づけられたとする説もある」と書かれる。入間川の逆流のほうが元だというわけである。

「廻国雑記」は、入間川が逆流する話を載せ、それも一理あるといい、入間詞について「申しかよはす言葉なども、かへさまなることどもなり。異形なる風情にて侍り」と書く。
つまりは入間詞があるくらいなのだから、川も逆流するのだろうというわけなのだが、川の逆流の話は伝聞のようである。となると、やはり逆流より入間詞のほうが元であって、あるいは特殊な方言が通じなかった経験から話が拡大していったようにも思えるが、よくわからない。
「廻国雑記」の作者の道興の歌は、良い歌である。

 立ちよりて影をうつさば、入間川、わが年波もさかさまにゆけ  道興

歌だけをみると、川が逆流しているのを見て詠んだようにも見えるが、紀行文の本文を見れば、そうではない。歌というのはそのように作られるものでもある。
しかし逆流する川があっても良いかもしれない。各地にある「逆川(さかさがわ」という地名については、どうなのだろうか。

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美しく儚い女性たちの伝説


古代の美しくはかない女性たちの伝説といえば、万葉集の高橋虫麻呂の長歌に歌われた、葛飾の真間の手児奈の伝説と、生田川の伝説をまづ思い浮かべる。「歌語り風土記」では、長歌の部分を口語訳し、反歌を添えて歌物語ふうに仕立ててみた。

真間(まま)の手児奈(てこな)は「水汲み女」だったと言われるが、折口信夫が「最古日本の女性生活の根柢」の中で述べるように、「並みの女のやうに見えてゐる女性の伝説も、よく見てゆくと、きっと皆神事に与(あづか)った女性の、神事以外の生活をとり扱うてゐるのであった。」ということである。汲まれた水は公の神事での禊(みそぎ)のために使われたのだろう。水汲み女は神事の主役の貴い人の禊の一切に関わった女のことなのかもしれない。

 葛飾の真間の井見れば、立ちならし、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ  高橋虫麻呂

生田川の伝説の菟原少女(うなひをとめ)も、長歌に「虚木綿(うつゆふ)の隠もりてませば」とあるように、そのような女性として少女時代を過ごしたことが歌われる。

 葦の屋の菟原少女が奥津城を、行き来と見れば、ねのみし泣かゆ  高橋虫麻呂

「歌語り風土記」からもう一つ探すとすると、秋田のふき姫の話だが、この話はそんなに古い時代のものではないような印象である。恋愛物語ではなく親孝行の話であるが、土地の名産品の由来の話になっているところは、たとえ近代ないし近世の新しいものではあっても、伝説としては説得力があると思う。

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