春と秋とどっちが良いか?

春と秋とどちらが良いかとは、今の日常会話でも話題になる。
万葉集巻一に額田王の有名な歌がある。

  冬ごもり春さり来れば、
  鳴かざりし鳥も来鳴きぬ。咲かざりし花も咲けれど、
  山を繁み入りても取らず。草深み取りても見ず。
  秋山の木の葉を見ては、
  黄葉をば取りてそ偲ふ。青きをば置きてそ歎く。
  そこし珍らし。秋山われは

春がくればそれまで鳴かなかった鳥も鳴き、咲かなかった花も咲くが、山は繁り草は深いために、入って取ることも見ることもできないという。
秋になると、山は紅葉し、紅葉を取っては思い、青い葉はそのまま置いては歎き、そういう秋の山は愛でるべきものであるという。
「山を繁み草深み」とは立夏を過ぎた時期にあたるようであり、そこまでを「春」に含めるのだろう。

手に取ることもできない高嶺の花では価値が解らないという率直な判断である。春と秋を対比させること自体に外来思想の影響が見られるとの評釈もあるが、判断内容は、人間世界から切り離されたところで抽象的な論理を組み立てるのではない日本の古代の発想なのだろう。

引用の歌は折口信夫『口訳万葉集』によるが、他の本では最後の1行が「そこし恨めし秋山われは」となっていることが多いと思う。
9月20日に引用した歌
「物皆はあらたまりたり。よしゑ、ただ、人は、古りにし宜しかるべし」は
「物皆は新しき良し ただしくも人は古りにし宜しかるべし」となっていることが多い。

万葉集は個人的に20年以上前に全ての歌をタイプして保存しておいたものからコピーしています。折口信夫は没後50年が過ぎて著作権が消滅したようなので、私のファイルを希望者に配布する用意もあります(ただし詞書を略してタイプしたものです)
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