森田童子と『血の歌』

9784620327198.jpg 『血の歌』は、作詞家でもある なかにし礼の小説で、没後に発表された。
薄い本なので、2度読んだが、2度めは森田童子のカセットテープ(筆者自作ベスト盤、mp3化したもの)を聴きながら読んだ。森田童子は、なかにしより少し早く亡くなったらしい。
 小説には森田童子と思われる謎の歌手のことも書かれ、なかにし礼の兄の娘であるという。謎の歌手といっても、少しは実像がわかったほうが良いこともあるだろう。

 その父というのは、満州で成功した実業家の息子で、アコーディオンでタンゴを奏でたり、東京の大学生としてはダンスホールで遊びなれたお坊ちゃんだったが、大戦末期に軍にとられて飛行機乗りとなり、1年で終戦を迎え、父を亡くしてからは事業は失敗の連続だったらしい。彼の指は自己流でピアノも奏で、そこから聞えてくるタンゴの甘く切ないメロディーは女性たちをとりこにするものであったらしく、死ぬまで夢を追い続けた借金王でもあったのだろう。
 日本に入ったタンゴはヨーロッパ経由のものが多いが、弟のなかにし礼は、学生時代にシャンソンの訳詞などをしていて、1965年に「知りたくないの」という歌の訳詞で大ヒットとなり、売れっ子作詞家となった人である。なかにし礼が売れっ子になったころ、広い屋敷を建て兄弟2家族同居の時代があったらしい。森田童子が中学生から高校生のころと思われる。森田童子のデビューの前年の1974年も兄弟は毎日顔を合わせていたと小説にあるが、それと矛盾する表現もある(1974年は兄弟で芸能プロをを始めたころなので矛盾ではない。巳年生れなど年次はかなり正確)。

 森田童子の歌に出てくる、男の「弱虫」、「ダメになった僕」の原型は父のことでもあったようなのだ。でなければ、あれだけのいたわりややさしさを表現できないだろうし、同時に父への惜別の意味もあるのだろう。
 歌詞はよく聞くと、男子どうしの友情のようなものを歌ったものが多い。センチメンタルな内容とあいまってBLのハシリにも見えてしまうが、それはともかく、聞く側は、森田童子という芸名が性別不明であるように、性別のない愛の歌として聴いたはずだし、声は女声なので男女の愛の歌を翻案した歌として聞いたろう。今後も同様だろう。「ぼく」とは女のことかもしれない。あるいは女性の視線から、男子の弱いホンネをいたわりをこめてダイレクトな言葉で表現したようにも聞えた。男子にはここまで自分の弱さをさらすことはできない。

 森田童子がデビューした1970年代の後半は、ラジオの深夜放送などでよく聴くことがあった。歌が聞え始めると、手を止めて聞き入ってしまう。終ったあとも、静寂につつまれたまま、しばらく頭が空っぽになるような歌だった。当時松任谷由実氏も番組を持っていて、曲を流したあと2〜3秒無言で、溜め息まじりに「いい歌ですね」と短くコメントして次の話を進めていたような記憶がある。

 前述のベスト盤は、80年代の中ごろ、廉価盤で再発売されたアルバムのLP3枚を買えるようになったので(それ以前の私は輸入盤のシャンソンやタンゴのほうが重要だった、森田より年少だが)、その3枚からカセットで作ったものである。アルバムカバーのデザインは、あまり良いものはない。ダイレクトな歌詞のその一部だけ切り出した言葉なら、全体の歌詞を負い続けるが、その単語だけ切り放してデザイナーの私的イメージに任せすぎたのだろうか(崩れ落ちる十字架や、一羽の鳩の絵だとか)。欲しくなるようなデザインのものが一つもない。あるいは映像化を拒む歌なのかもしれないが。
 ベスト盤の中に、「雨のクロール」という曲があり、これは森田童子が好んだというつげ義春の漫画「海辺の叙景」をヒントに作られた歌だということを思い出した。ネットで森田童子を調べると、筆者が知らないでもない劇画家二人や劇画雑誌元編集長の記事などが検索上位に出る。今後の再発売の際は、CDカバーのデザインに、つげ義春の絵を使ってはどうだろうか。

 自作ベスト盤の最初の3曲は、「僕たちの失敗」「僕と観光バスに乗ってみませんか」「早春にて」。気になる曲として選んだのだと思う。

 「早春にて」はワルツテンポの曲だが、曲の最後のほうにジェット機の音が入っていた。軍隊で練習機を墜落させてしまった森田の父を連想してしまった。親友が故郷へ帰る歌詞なので、飛行機で帰ったと解釈したアレンジなのだろうけれど。

 「僕と観光バスに」は、「雨のクロール」と同様の8分の6拍子の弾むような曲で、(君と今夜が最後なら……)「Do you wanna ダンスで昔みたいに浮かれてみたい」という歌詞が気になっていたのかもしれない。弾むような曲は、ラテンのダンス音楽に近く、タンゴのイメージなのかもしれない。
 「雨のクロール」もそうだが、二人は今日別れるという歌が多い(なかにし礼にも「今日でお別れ」があるが?)。あるいは別の歌で、やがて時が癒してくれるだろうと歌うことも多いような気もする。普通の抒情歌は、全てを過去の美しい思い出に昇華して歌うのだが、森田童子の歌は、常に青春まっただ中に身を置いて、見えない未来に語りかけているようなのだ。

 「僕たちの失敗」は、「さよなら僕の友だち」とともに代表曲のように知られている。4拍子のリズムだが、3拍子に変えて口ずさんでみると、ダンス音楽になる。3拍子にすると、少し似ている曲を思い出した。シャンソンの「聞かせてよ愛の言葉を」である。「さよなら僕の友だち」も同様のリズムであり、これらをふくめると、ほとんどの曲が3拍子か8分の6拍子になる。
 古いシャンソンには、発売禁止(自殺幇助のような理由で)になった「暗い日曜日」という、暗い歌もある。日本人の心性に虚無への衝動があるというのは本当かもしれない。
 音楽史における森田童子の系譜上の位置が垣間見えたとしたら、この小説のおかげだろう。

★これを書いた二日後に、BS放送で近松門左衛門原作の心中物の映画『鑓の権三』(岩下志麻主演)を見たが、ななかなの映像美であり、昔から日本人の好む心中物というのがあることを痛感した。映画では言い訳のようなセリフは少なくして映像美で見せるのが良いようである。森田童子も新しい音楽というより綺麗なメロディと声が重要なのだろう。
★古いタンゴには劇中歌のような歌詞が多いと聞いたが、古いシャンソンも同様で、大衆歌謡とは、近代的個人の自己表現ではなく、劇中歌の形式が始りであろう。森田の歌詞はその要素を残していて、劇画漫画関係者でファンが多いというのは、物語のセリフの言葉に近いものがあるためであろう。映画演劇のセリフは演者の肉声と不可分になってしまうが、劇画漫画はそうではないところがあるだろう。
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