筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原

 藤原といふ地名がある。
 藤原とは、淵原(ふちはら)のことであり、水源地の意味であると、折口信夫『水の女』でいふ。清らかな水があり、禊ぎをする人があり、その介添の女がある。天皇の禊ぎを担当するのが、藤原の氏族の女であり、皇后にもなるのだともいふ。民間では、産湯を使ふ取り上げ姥から、三途の河のほとりで衣を奪ひ取る婆まで、女性の力に頼る人生になってゐるのも、このためであらう。

 万葉集に、葛飾の真間の井の伝説があり、手児奈といふ美しい娘が、複数の男に求婚されて入水したといふ悲話である。高橋虫麻呂の歌がある。

 葛飾の真間の井見れば、立ち平し、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ

「水汲ましけむ」とあるので、同系の女であることがわかる。真間の井とは清らかな水のある場所であったらう。

『地名の研究』で柳田國男は、「土の崩れる崖をママといふ」「上総・信濃でも土堤のことをママといふ。その説明には崩れるといふことはないが、高地の側面をママといふことだけは前説と通じてゐる。『地名辞書』にも、相模足柄上郡福沢村大字壗下(まました)に関して、崖のはずれをママといふと記してある。」(柳田国男『地名の研究』)

 葛飾の真間の下流には、欠儘(かけまま)といふ地名もあり、カケも崖のことである。
ママは「高地の側面」といふのは、崖の側面、斜面のことであり、湧き水のよく出る地形である。手児奈が水を汲んだ場所は、本来はそのような泉のほとりだったであらう。
藤原の「原」も、実は同類の段丘地形のことだといふことは、後に明らかになるであらう。

 源といふ姓も、意味は水源地のことである

 平(ひら)とは、広辞苑に「セ鈎罎砲△訌蠹広い緩斜面」とある通り、平らな地形ではなく、傾斜地をいひ、古事記の黄泉つ比良坂のヒラがこれに当たる。沖縄では、傾斜地の上の台地を、高ヒラの意味でタヒラといふのだと説明される。姓の「平」も、その意味は、傾斜地や水源地と関係するものと想定できる。

 ここまできて、橘(立花)といふ地名も、同様ではないかと思った。タチは、東北に多い館(タテ、タチ)のことであらう。
 「東北に往って聞いてみても、岡の尾崎をタテとはいふが館迹とは言はない。畑とか林とかの場処をさしてただタテと呼ぶのである。もし強いて細かく説明するならば、奥羽でタテといふのは低地に臨んだ丘陵の端で、通例は昔武人が城砦を構へてゐたと伝へられる場処である。」(『地名の研究』)
 タチを「丘陵の端」とするなら、ハナはさらにその先端になる。
 武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の郡家跡らしき場所も、地図で見ると川崎市の多摩丘陵の端の、少し先に多摩川の見える地であった。
 群馬県前橋市郊外の橘山は、同様であり、赤城山麓の端の利根川近くにある小山である。近くには、水分神社がある。

 ところで、源平藤橘といへば、日本を代表する四大氏姓である。高貴な姓ともされる四つの氏姓には、その意味に共通するものがあるようだ。もっとも太古の昔に人々の集団が定住するにふさはしい場所とは、湧き水の豊富な場所のことであり、その場所や地名を尊ぶのは当然と言へば当然である。

 橘とか原とかいふ言葉から思ひ起こされるのは、古事記で、黄泉国から帰ってきた伊邪那岐命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あはきはら)」で禊ぎをした話である。筑紫……以下について、その意味ゐ考へてみよう。

 筑紫は九州のこと、日向は日向国のことで、異論はなからう。
 橘は、本居宣長の『古事記伝』には、地名のことだらうとしか書かれてなかったが、既に見たように「丘陵の端」の「ハナ」といったような地形の場所であらう。
 小戸とは、尾処(ヲド)の意味で、更にその先のことであらうか。

 阿波岐原は、日本書紀では「檍原」と書かれる。檍は、広辞苑には「かし・もちのきの古名、梓の類などというが、未詳。〈神代紀上訓注〉」とあるが、アハキはアヲキ(青木)のことかと古事記伝にあり、昔からいはれてゐたことらしい。
 しかしその先がわからない。ここまでで、アハキハラの探求は、終るかと思はれた。しばらくして『川を考える地名』(小川豊:著)といふ本を見たら、興味深い記述があった。

 「青木地名の大方は、樹木が繁ったというより、微小扇状地といった地形で、全国的にアオギで分布、オーギは兵庫県芦屋くらいであろう。降水のあったときだけ川になるというのもある。とにかく旧河道(谷地形の)の土砂堆積地であろうと思われる」(『川を考える地名』)

 同書では、別の項目で、アバ、アワの地名について、古語の「発く」からきたもので、土地の表面が剥がれたり、崩れたりした場所であり、川の近くなら川崖のあるところだといふ。
 小川氏は、もと建設省の技士で、全国の工事に関り、土地の地質と地名とが密接な関係にあることが多いことに気づいて、その研究を発表された人である。
 小戸が狭い場所のことなので、 阿波岐原も、広い場所ではなからう。阿波岐原は、河原の「微小扇状地」か、川崖のあるところか、どちらかだらうが、禊ぎの場所であるから、脇から清らかな湧き水があるような水源地でもある河岸のあたりといふことになる。

※ 小川氏の崩壊地名の本については、「地名でわかる危険地帯」のように宣伝されることもあり、部分的にはその通りなのだらう。しかし日本列島は、どこへ行っても断層だらけでで地震と津波の国であり、避けられないことである。
また他方では、別の見方をすれば、日本の地名は、土地を客観的な不変の形状として認識するのではなく、生き物のように形を変化させてきたものとして捉らへてきたところがある。島根半島は、遠くの島に綱を引っ掛けて引っ張って来たものと考へたくらゐである。丘の形を見て、欠けたところがあるように見えれば、事実はともかく、昔に欠けたと想像してガケと呼ぶこともあらう。
 いづれにせよ、段丘や崖や斜面についての呼び名や地名が、実に多量にあるのが日本の地名の特徴である。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

  page top