「用ゐる」の仮名遣ひ表記について

「用ゐる」の仮名遣ひ表記について、気になることがあったので、辞書(シャープ電子辞書)を引いてみた。
電子辞書は「ゐ」が打てないので「もちい」とキーボードから指定。

最初に「用ゆ」(ヤ行上二段)の項が出た。「もちい」で検索したからだろう。
用例に宇治拾遺物語からの引用がある。
しかし説明に、「『もちゐる』に同じ」と書かれるので、「→用ゐる[参考]」の部分をクリック。すると……

「用ゐる」(ワ行上一段)の項が出た。
用例は徒然草や源氏物語など多数。説明文は、かなり長い。本来ならこちらを最初に表示すべきところだが、キーボード入力のときに「ゐ」が使えず、「もちい」としたため、ヤ行が優先されたのであらう。電子辞書には旺文社「全訳古語辞典」が収録されてゐるが、「ゐ」や「ゑ」を使へないので、実に不便なのである。

その「用ゐる」についての説明によると、後世ハ行上二段「もちふ」、ヤ行上二段「もちゆ」と誤用される例も生まれた、といふ。前述の宇治拾遺物語は、誤用だったことになる。
「もちゐる」は「持ち・率(ゐ)る」の意とも書かれ、これは事前に想像した通りの語源説である。

「もちふ」を同辞書で調べてみると、「もちいる」に同じとあり、("もちふ"の)説明は短いが、用例は源氏物語からである。源氏物語では「用ゐる」と「用ふ」の2つが使用されてゐることになる。書写した人が違うためかもしれない。

「もちゐる」は「持ち+率る」と解釈できるわけでが、では
「もちふ」は「持ち+ふ」となり、「ふ」とは何であらうかといふことになる。やはり誤用なのだらう。
「もちゆ」も「持ち+ゆ」となり、「ゆ」とは何か。これも不明である。
下二段活用なので連用形は「もちいる」となり、語の途中に母音の「い」が入るといふのは、万葉集など上代では安定しない語形である。「這ひ入る」→「はひる」と変る語もある。万葉集には「もちいる」はないので、それは後世の誤用なのだらう。

ところで、平安時代末期の藤原定家の時代には、「ゐ」と「い」、「ゑ」と「え」の発音の区別がなくなり、独自の「定家仮名遣ひ」が考案されたといふ。平安中期の源氏物語の時代には、発音の通りに「ゐ」と「ゑ」を書き分ければ、それが今でいふ歴史的仮名遣ひになったわけだが、平安末期以後はそうはならない。そこで仮名遣ひの法則を覚えて書き分けなければならなくなったわけだ。

「誤用」といふ言葉を広義に解せば、定家仮名遣ひの中にも「誤用」は多くあるはずであり、冒頭の宇治拾遺物語についても同様。
古典に使用例があるからといって、あれもこれも許容していったら、際限がなくなる。
江戸時代の木版本の表記まで含めたら、仮名遣ひは無いに等しいものとなってしまふ。
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教育勅語に文法間違あれば

柳田国男は、教育勅語には公衆道徳についての視点が欠けているなどと、地方の講演でよくしゃべっていたら、官憲ににらまれたものだと語っている(柳田国男対談集)。
なるほど……。むろん日本人に元々欠けているのではなく、あの文章に欠けているという意味であろう。
小さな村で、互いを尊重し、助け合い、故郷を愛し、その山や川を守るのは、生活の常識であって、外から教えられなくても、昔から受け継いできたことだった。

教育勅語にも「博愛衆ニ及ボシ」という文句があり、良い言葉だと思う。「博愛衆に及ぼし」なので、主語は別にあり、「衆」はここでは博愛を及ぼす対象である。すると主語は、衆の中の人でもあるだろうが、それより少し高いところにいる人を示しているようであり、特に社会の指導者層が肝に命じなければならない言葉なのだというべきであろう。儒教では「仁」に当たるだろうか、どのような行為が、この博愛に相当するのかを、詳細に極めてゆくのも良いだろう。

さて、よく言われる「教育勅語」の一部の文法間違いの話。、

教育勅語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という一文があり、「緩急あれば」の「あれば」は文語では已然形の順接の助辞なので、仮定の意味ならば未然形の「緩急あらば」とするのが正しいようである。
万葉集で似たような形の文脈のものを探すと、次の歌があった。

  事しあらば小泊瀬山の石城にも、隠らば共に。な思ひ。わが夫(巻16 3806)

 小泊瀬山の石城とは、葬地のことである。もし何か事があれば、死ぬなら一緒だという。だから思い悩むことはないと、夫ないし恋人に応えた女の歌だろう。
 「あらば」は「未然形+ば」であり、この歌の「事」は未だ起こっていない。未だ存在しないので、未然形になるのだろう。
 一方、「已然形+ば」には、次のような歌もある。

  家にあれば、笥に盛る飯を、草枕旅にしあれば、椎の葉に盛る(有間皇子 巻二 142)

この「家にあれば」は一見、条件句のように見える。しかし、飯を家では笥に盛ることは常に確定している。已(すで)に決まっていることで、已に毎日そうしてきた。これから起こるかもしれない新しい事件ではない。そういうときに、已然形になるのだろう。
「家に」以下と「旅に」以下との2つが、対句に揃えられたときに、それぞれで倒置表現が加わっているのかもしれない。

このへんのところは、曖昧にしている辞書もいくつか目についたが、明快な解説を求めるなら、丸谷才一の本を読むのがよいだろう。
エッセイ集『低空飛行』によると、教育勅語の発表直後に、大言海の著者・大槻文彦教授が文部省に出向いて「アレバは印刷上の間違ひだから早速アラバに直すように」と申し立てたが取り上げられなかったという噂があったという。「印刷上の」というのは、相手のメンツに配慮した表現なのだろう。
文を起草した漢学者の井上毅は、間違いを恥ぢて漢学者であることをやめ、その後は国文のほうに転向して国文学者として良い仕事をなしたという美談があるという。起草を依頼されたほどの学者が、国文に転じて一から学び直したということらしい。江戸時代から漢学者の訓読文には国文法に不十分なものがあり、その延長上のことだろうという。
芭蕉や井原西鶴なども、そのへんはルーズというかラフであったらしく、間違いはよくあることであって、恥じる必要はないという。作家や一般人はそれで良いのだろうと思う。政治官僚がどうするかは私は知らない。

余談になるが、江戸時代までの漢学者は、国文を一段低いものとして軽視していたから、そうなるのだという意見も読んだことがある。私が思うのは、漢字には実際には無数といっていいほどの異体字がある。それらについて「ヽ」が一つでも二つでも変らない同じ字として読んでいくので、微細なことにはこだわらないのだろう(本字と異体字の区別は除いて)。書では、一画一点の間違いは間違いではないと、ある年配者が言っていた。それでカナの一字程度にはこだわらないのではなかろうか。

ところで、アレバという同じ語形なのに、文語と現代語ではなぜこれほど大きな意味の違いになってしまったのだろうか。アラバがなぜアレバになってしまったのだろうか。高校時代の古文の授業や試験で、これに悩まされた人は多いのではなかろうか。
そのへんのことについて、続きを書ければと思っている。
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音楽脳

秋の夜に聴く虫の声は、日本人にとっては耳に心地良いものだが、西洋人にとっては雑音にしか聞えないという話は、一般にも知られていると思う。
角田忠信氏によると、人の左脳と右脳の使い方が、日本人と西欧人で異なることが原因で、そうなるらしい。
人間の脳は、左脳と右脳で役割が異なり、左脳は、おもに言語や計算を担当し、言語脳ともいう、右脳は言語以外の音楽や自然音、雑音などを担当するので非言語脳または音楽脳ということがある。
では、言葉と音楽と、両方が混ざった音は、どうなるかというと、言語が優位になるので、言語脳(左脳)だけで処理されるという。このとき言語脳は雑音を選り分けしながら処理するので、疲労感が残るのだとか。、

鳥の声や虫の声は、どちらの脳が受け持つかというと、西欧人にとっては自然音なので右脳。日本人は言語と同じように左脳になる、という大きな違いがあるそうだ。日本人が鳥や虫の声に情緒を感じるのは、言語と同じ左脳処理が原因ではないかというのである。(右脳・芸術脳でなく)
室内でオーケストラの器楽曲の音楽を聞きながら、窓の外から鳥の声が聞えたりすると、聴衆はなぜか音楽に集中できなくなっていた、という音楽評論家の吉田秀和の著書からの紹介がある。これも、日本人は鳥の声も人間の声も同じように聞くためだという。

以上は、角田忠信著『日本人の脳』という本からのごく一部が『エッセイおとなの時間・遊びなのか学問か』(新潮社)に掲載され、それを読んで感心したわけである。これらは、10歳くらいまでに日本語を母国語として習得した人に当てはまるという。
そこで同書を取り寄せて他の部分も読んでみた。

 中国人や朝鮮人は、西洋人と同様であり、日本人やポリネシア人など世界でもごく一部だけでだけがそのような耳ををもつらしい。

日本人は、鳥や動物の声の他に、川のせせらぎの音、風の音も、左脳で聞くというから、情緒を込めて聞いているわけである。

さらに日本の笛や三味線などの和楽器の音も、左脳が優位になるという。洋楽器は右脳。
西洋人は、人の声のハミング、母音を伸ばした声なども、右脳が優位だが、日本人は左脳だという。
匂いについても、西洋人なら右脳優位だが、日本人なら左脳になるものに、花、果物、化粧品の匂い。タバコや焼け焦げの匂い、体臭などの悪臭、などがある。

著者は、日本人は左脳を使いすぎるので、もっと右脳を使うべきで、クラシック音楽の器楽曲などが良いなどの提案している。
ただし匂いのある「タバコは想像活動を阻害する」というのだが、左脳優位がいけないというのなら、花の香も、水のせせらぎも、鳥の声も、日本的な花鳥風月に関する全て排除せよということになり、このタバコ排除の提案は間違いだろう。

ところで、日本人全てがこの傾向にあるのではなく、7%は左右が逆であり、22%は左脳右脳どちらかの優位をはっきり示さないという。残りの70%ちょっとについてだけ該当するのがこの話らしい。これでは、自分はそのうちのどれに該当するのだろうかという話になってくる。右脳の活用も良いが、70%に入らない小数派の日本人を尊重すべきだという考えもありうると思う。

とはいえ、日本語や音楽の研究にとっては、これらは重要な発見であろう。
西洋人が、言葉の子音と短母音だけを左脳優位で認識するのは、強弱アクセントと関係があるのではないだろうか。強弱アクセントは間違えば意味が通じないので注意して聞くと思うが、長母音はいくら長く伸ばしても意味は変らないので右脳でよいということかもしれない。

日本語では音の強弱には意味はない。音の高低についても、たとえば「ムギ、ハタケ」と言う音の高低は「ムギバタケ」と続けて言うときに変わってしまう。日本語では音の高低を間違ってもかなり通じるだろう。かなで書くと同じになる箸と橋の間違いは通じにくいだろうが、文脈からの類推で通じることもある。それは言葉の全てを注意をはらいながら左脳で聞いているからということになる。

日本の歌謡曲では、長母音の途中で強弱等をつけるコブシという唱法があるが、日本語の強弱には言語的な意味はないために歌い手の気分で自由にできるのだろう。長音の途中でビブラートを強める日本人歌手も少なくない。しかし音の途中で強弱が入ると別の音の始りかと感じてしまうせいか、非常に聞きづらく思う今日このごろである。
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読みやすい印刷用書体とは

地方のある研究者の本の印刷文字が、丸ゴシックのようなメイリオのような書体だったので、奇妙に思った。おそらく世間で「読みやすい」といわれる書体だから、そうしたのではなかろうか。
だが最近の「読みやすい」というのは意味が違うのであって、メイリオなどはスマホで読みやすいとされる書体であろう。昔のワープロなどは印刷は明朝体でも画面表示は16pxのゴシック体が標準だった。ゴシックよりも横長で中央を魚眼レンズのように拡大した新聞活字に近いデザインの書体が、小さい文字でも「読みやすい」とされている。
また、新聞活字では、「目」と「日」を誤認しないように正方形のマスいっぱいに大きくデザインする傾向がある。「江」なら「工」の部分を縦いっぱいに大きくし、「戸」ならまん中の「口」を大きく強調する。画像の例では「平成明朝」にもこの傾向があることがわかる。游明朝にもその傾向がある。極小の字なら、読みやすいかもしれないが、普通サイズの字については疑問である。
fontW5 Demibold は太字のこと。

読みやすい書体の条件とは何か。いろいろな見方があるだろうが、速読での読みやすさというのは重要であろう。
速読では漢字の一画一画を確認するのではなく、また異体字の区別も重要ではない。文字全体の輪郭が重要で、四角いマス内の周辺部分の余白の形や配置なども重要である。昔の活字や写植文字は、そのようにデザインされてきた。それを最も継承しているのが、PC環境では、MS明朝であろう。

また、画像の「江」のように、MS明朝のやや縦が短く横に長いデザインが見やすい。漢字は「健」や「康」などのように、縦線より横線が多い字が多いのだから、縦長に書いたほうが他の字と区別しやすいのでは?、と思いがちだが、そうではない。
おそらく、漢字は偏と旁の左右の要素に分けられるものが多いので、全体をやや横長にすると、左右の各要素の変形の度合いが少なくなり、たとえば「工」と「江の中の工の部分」とは、相似形に近くなる。とくに旁の部分が縦に細長く変形しては認識しづらい。つまり、前述したように、輪郭認識なのである。
一画一画を認識しながら最終的に一字の認識に到達するというのは、漢字をおぼえたての小学生なら、そういうのもありうるが、普通は、漢字というのは一瞬で認識できなければ、文章はすらすら読めるものではない。

次に、文書の見出しなどで使う強調文字について
明朝体の太字は、MS明朝をワープロソフトの編集時に太字(Bold)に設定したのでは、くっきりした印刷文字にならない。太字用の書体、いわゆるフトミンの書体がを選べば、かなり違ってくる。本文のMS明朝とは多少デザインが異なる見出し文字になるのもやむをえないだろう。
ゴシック体については、印刷ではMSゴシックが良いわけだが、ディスプレイ表示では何故か太い字で表示されない。編集画面では、どの文字がゴシックなのかわかりづらい。ここは游ゴシックを使うしかないようだ。上の画像の例では、表示ではかなり太さが違うが、印刷ではMSゴシックも太く印刷される。

蛇足になるが、手紙や葉書の宛て名で、毛筆体というのも、変な字が多い。楷書体が、良いと思う。楷書体は、名刺や冠婚葬祭の案内状・礼状などで長い歴史があり、洗練されたデザインで見やすい字である。
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わが歴史的仮名遣ひ

詩人の入沢康夫は、、
高校3年から大学時代に、歴史的仮名遣ひで詩を書いて投稿などもしたが、1955年に処女歌集を出版したときは現代仮名遣ひになってゐることに、だいぶ年月が過ぎてから気づいた。そこで、その経緯をふりかへってみるために書かれたエッセイがある。
歴史的仮名遣ひにしなかった理由は、どうやら小規模だった出版社の意見に配慮したためらしい。印刷は町の小さな印刷屋さんに頼むこともあり、誤植が多くなることへの危惧があった。その後は、宮沢賢治全集の編纂や校訂に関はったことがきっかけで、歴史的仮名遣ひに戻したとのこと。

それで思ひ出したのは、自分のことなのだが、2002年ごろにホームページを始めたときは、歴史的仮名遣ひだったのだが、2005年に始めたブログは、現代仮名遣ひにしてしまった。その理由を思ひ出してみた。
あれは確か、グーグル等からの検索のときに、歴史的仮名遣ひは不利なのではないかと思ったからだった。たとへばキーワード「思ひ出」では検索されず、「思い出」としたほうが良いのではないか。当時はさう思った。
その後はたまに歴史的仮名遣ひでも書くけれど、両方切り替へ方式では、かなを間違ふことも多くならざるをえない。

言葉は思考の道具であるといふが、思考するときに自分の頭の中に飛び交ふ言葉は、どんな仮名遣ひなのであらうか。
頭の中で、認識や判断をした瞬間があったことはわかるものだが、語形をもったものが飛び交ふのではない気がする。飛び交ふのは言葉ではなく概念といったものである。文字で表出してから、読み返したときに初めて仮名遣ひを意識するのではないかと思ふ。

思ひ出したことはもう一つあって、昔ある町の印刷屋さんが、小さな出版も兼ねてゐて、ある人の句集を作るといふときに、歴史的仮名遣ひのチェックをしてくれ、謝礼は著者が払ふ、といふ話があった。100パーセント完璧といふわけには行きません、と言ったら、それで構はないといふので、引き受たことがある。といふことは、その当時、私が歴史的仮名遣ひで書いてゐたことを、印刷屋さんは知ってゐたといふことになる。あれはいつごろだったかといふと、1980年代だらう。
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漢字の旧字体の話

 3月以来、漢字の旧字について熱中してしまって別の執筆がはかどらない。熱中した割りには、成果は少ないかもしれない。

 学生時代はお金もなく、古本屋で安売りの文庫本などを購入すると、旧漢字の本は少なくなかった。(当時を基準に)10〜20年前の古本がそうだったし、古本でなくても岩波文庫の再版など旧字のものは少なくなかった。1970年代の話である。

 最近、昭和33年の筑摩書房の「現代日本文学全集」のうちの「夏目漱石集(三)」を見たところ、「現代日本」というタイトルではあるが、全文が旧字旧仮名である。旧字でも昔の本は活字のデザインが良いので、とても読みやすい。8ポイント文字は老眼の進んだ人には小さすぎるかもしれないが。

 昔の書籍を、当時の文字遣いのままpdfなどの電子本として再現できないかという動機から、いろいろ調べてみたわけである。PCでは花園明朝Plusという一種の大量外字集を使えば、かなりのところまではできることがわかった。変換する文字のリストを作れば、変換プログラムで簡単にできなくはない。しかし仮名遣いならぬ「文字遣い」の問題が、ことをややこしくする。

 実際に古い本を、文字遣いを意識して見てゆくと、今の漢和辞典などが区別する旧字(俗字でない本字)とは違う文字が少なくない。
親譲りの
 戦前の夏目漱石全集は、全ページの撮影画像を国会図書館サイトで見ることができるが、漱石独自の文字遣いがあるのがわかる。日本で一番有名な小説の書き出しは「親譲りの無鉄砲で子供の時から……」という文だが、最初の「親」という字の左上の「立」の先は、縦に短く書くのではなく、横方向に小さく一と書く版がある。この字形は漢和辞典などでは俗字・異体字とされるが、漱石の本では、親のほかに新、薪なども横一本の書き方である。「帝、締」や「敵」などの「立」の先は、漱石では縦に短く書く。「化」の匕は斜め左下に突き抜けるが、「花」という字では、漱石は突き抜けていない。これらは漱石全集でも戦後の現代日本文学全集夏目漱石集でも同じなのだが、全集は版によって違うかもしれない。
 節や郷を、卽のように書くのは、漱石以外でも昔は主流だったが、今の漢字学者の意見では正式な旧字ではないようで、パソコンの字体は漢字学者の意見が主流である。漱石では、櫛だけは と書く。左下の2本の歯のような形が、いかにも櫛らしいからであろうか、というのはジョークではなく、案外当たっているのではないかと思う。櫛は折口信夫でも同じだった。
 折口信夫全集では、初や呪などの字形が、漱石とも違う。

 多数の作家を調べたわけではないが、作家によって異なる「文字遣い」があるように思う。仮名遣いと違って、文字遣いはルールが非常に緩く、私的な嗜好まで含めてしまっているようでもある。

 しかし、人によって字形が違っても、読むときに不便は感じないものである。漢字とはもともと1つの字にさまざまな字形があるものが当たり前だからだろう。たとえば「言」という字の一画めは、印刷物では短い横線だが、手書き文字でそう書く人は少なく、たいていは斜め方向の点1つに書く。こういう字形の違いについて、人は普段は意識したことはない。
 新字を使っていても文藝の藝だけは芸でなく藝を使うケースは、馴れない人が読むと気になるかもしれないが、馴れればどうということはない。
 とにかく、新字→旧字へ変換するプログラムのための変換リストは、作家の数だけ用意しなければならない場合もありうるのである。

 とはいえ、古い本に親しむためには、旧字はたくさん憶えておかなければならない。というより、親しんでいるうちに、自然に憶えるものであろう。
 古文書や昔の崩し字は、旧字をもとに崩してあるので、元の字を知らないと想像もつかないようなことになることもあるらしい。
 
 ちなみに「親」という字について。漢和辞典によると、親の左側部分は「辛+木」から成り、辛は針のこと。木の位牌に敬意を込めて針を差し立て、それを見上げることから親の字になったという。針を立てるのなら、立の先は立っていなければならないわけだ。
「章」は、辛つまり針や刃物で入墨したことから始まり、針なので先は立つ。「童」も刃物と関係あるらしく、原義は子供ではなく牧童のような身分のことで、先は立つ。
「商」は、台の上に音(おん)を意味する章から成り、章と同様に先は立つ。
「帝」、3本の縦の線を真ん中でまとめる形。1つにまとめるので、先は立つ。下からまとめるので、肩を怒らせたような逆三角形の形に書くのは変だということになるだろうか。
 滴の右側は、啻という字が元なので、帝と同じ。

「音」は、言という字の口に何か挟んだ形からできた字なので、言と同様に、先は横線になる。「立」のような字形を含む字のなかでは、この字だけが横である。
 これらの字はみな「立」という形に見える部分を含むが、どれも「立」という字とは無関係である。

 親の位牌に針や釘を立てるというのは、近世以後の日本人には思いもつかないことである。むしろ親とは小言を言うもの、上から雷を落とす存在だと思えば、「言」や「音」と同じように、先は横の線に書きたくなるのが、われわれ日本人の感覚ではなかろうか。漱石の「親」という字もそうなっている。
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大野晋『日本語の起源』

高校時代(1971)の夏、父の書棚にあった 大野晋『日本語の起源』(岩波新書)
を手に取って読み始めてみたら、そのまま一気に読み終へてしまった。
一般向けの「大人の本」を数時間で読了したのは初体験だったので、すがすがしい読後感が残ることになった。本は1957年発行の旧版。

本の内容は、言葉(単語)の語形や発音が、時代によって変化してゆくこと、地方には方言といふ形で変化した語形があること、それらの変化には法則性があること、などが書かれてゐた。
大野氏の本を次に読むのは1974年の『日本語をさかのぼる』であり、高校から大学にかけてのこの3年間は、長く感じられた時代だった。

「その人が青年期に負った心の傷、あるいは青年期に自分自身に課した課題というものがある。その傷を癒し、その課題を解く、その仕事を一生かかっていろんな形で具体化しようとする。そこに学問が形をなしてくる。」(大野晋)

これは『語学と文学の間 』(岩波現代文庫 2006)の中の一節だと思ふ。氏は少年時代に万葉集と出会ひ、万葉の古い言葉を理解するために、国語学の道へ進んだとのことである。青年期の「心の傷」とはどんなものだったか。大野氏には、国語学者としては異例(?)にも見えるいくつかの発言などがあり、そのへんに鍵があるような気がする。どんなものかといふと、

1、狭山事件における脅迫状の文章鑑定。高学歴の者の作文であることを論証した。

2、埼玉県稲荷山古墳から出土の鉄剣の文字の解釈。ワカタケル大王は雄略帝ではなく欽明帝だといふ。これについては埼玉県史通史編では雄略帝としながらもその根拠の薄弱であることが見てとれる。

3、本居宣長の再婚をめぐるいきさつについての説。丸谷才一が『恋と女の日本文学』でも紹介した。日本文学についての深い理解がなければとうてい見抜けないものだろう。

4、タミル語をめぐる古代文化研究

ところで、大野氏の日本語タミル語起源説について、当時(1981-81)の批判側の雑誌2冊(季刊邪馬台国10号11号)を読んでみた。あまりレベルが高そうな雑誌ではなかったが、読んだ印象としては、西洋の比較言語学とは、19世紀自然主義の流れの中で成立したものなのだらうといふことだった。
この同じ流れの中には、まづ、生物学のダーウィニズムがある。日本文学では、あの私小説的世界(丸谷才一が嫌ふあれである)。最近気づいたのは、日本の歴史のいはゆる江戸時代暗黒時代説も、これらと同時代的な価値観によるものだらう。
……と書いただけでは説明不十分なのだが、続きは、後日、書いてみよう。他にも説明を簡略しすぎた部分がある。

(補足)丸谷才一の名前が2度出たが、氏のものを最初に読んだのは、大野氏と共著の『日本語相談』(1989)だった。
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歴史的仮名遣ひ(本ブログの表記)

歴史的仮名遣ひは。少しのルールをおぼえるだけで、それほど難しいものではない。

歴史的仮名遣ひがどんなものかについては、Wikipediaの記述がわかりやすい内容になってゐる。
歴史的仮名遣ひは、平安時代の古今集から源氏物語・枕草子などの女流文学全盛時代の仮名遣ひを手本に、江戸時代に本居宣長が集大成したものであるが、字音仮名遣(祈願をキグワンと表記)は歴史的仮名遣ひとは別のものとする考へが広く存在し、時枝誠記・福田恒存・丸谷才一らの名がWikipediaであげられてゐる。この三人は昭和時代以後に活躍した人だが、明治時代からこうした考へはあった。それで良いと思ふ。

字音仮名遣ひについては、要するに、漢語である「祈願」にキグワンなどとふりがなを付けるときに意識されることもあるが、普通はいちいち仮名はふらないので、さほど問題にはならない。
例外的に、仮名表記が普通のものがいくつかある。
 …の様な …の様に
これらも、「…のような、…のように」で良いと思ふ。(丸谷氏は、例外的に「やう」)
 「…の所為で」は、当て字なのだが、「為」の字にとらはれて「…のせゐ」と書く人もいるが、「せい」が正しいようである。

そのほかでは、語源説の問題かもしれないが、指示代名詞ないし接続詞の類の
「かうして、さうして、だうして」も、
「こうして、そうして、どうして」と表記した昔の人の例がある。
「かうして」は「かくして」の音便形かもしれないが、「さうして」は、単に「さ」を伸ばしただけなのかよくわからないし、「そして」といふ短縮形との関係はどうなのか。
わが先祖の例もあるので、「こうして、そうして、どうして」と表記することにした。

仮名遣ひではなく、漢字表記の問題については、
丸谷氏は、「文芸」ではなく「文藝」、「証明」ではなく「證明」など、いくつかのこだはりがあるようだ。たしかに江戸時代の「證文」などは、「証文」と書いては、個人の文書ではなくお役所の文書みたいででぴったりこない。こういふのは個人のこだはりで良いと思ふ。
また、戦後の代用漢字のようなもの…… 例へば「障碍」を「障害」と書く例では、おそらく公文書で「障害」の表記が徹底されてゐると思ふので、現行に従ふのもやむをえないかもしれない。「障碍」といふ表記はほとんど見かけない。
「麻薬」を正しく「痲薬」と書く人も、今は少ないかもしれないが、「痲痺」は見かける。「麻薬」は法律家の表記で、「痲痺」は医者の表記であることがその理由かもしれない。「痲痺」は2文字とも「病だれ」であるのに、1字だけ勝手に変へるのもをかしい。
大麻といふ植物から作られる痲薬の一種であるタイマは、大痲でなく大麻と表記されるようになったが、その経緯は不明である。
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教科書の悪文について

東京新聞(8.21)に『教科書 読み取れない』『中学生 複雑な文章苦手』という大きな記事が載っていた。「中学生の半分近くが教科書を正しく読み取れていない」というので、それならば、ゆゆしき問題のようにも読める。日本の中学生はまだ発展途上のロボット知能程度の能力だともいう。
しかし記事はどうも歯切れの悪い文章が続くので、途中で、記事の別枠に例示してある、教科書からの試験問題3問を読んでみた。

どうということはない、教科書の文章というのは、悪文の見本のような文章である。

現代の悪文の代表例は、要するに、英語文の関係代名詞を直訳したときに複雑怪奇な構文となるような、あの文章のことである。
そこで3つを検討してみよう(画像参照)。

1は、正答率はかなり高かったらしい。
「太陽の400万倍の質量もつ」が「ブラックホール」に係り、「太陽の」の直前に句読点もあり、わかりにくさは少ない。「太陽の400万倍の質量もつ」と断定的な強い表現があるが、文末は「推定されている」と弱い表現になるのがやや奇妙な感がある。おそらくは「太陽の400万倍の質量もつ」ものが存在することは様々な観測結果から明白なことなのだが、太陽のように光を発しないので、仮に「ブラックホール」と呼んだ、というような経緯が反映されてのことかもしれない。

2は、正答率 中学生53% 高校生81%。
宗教名と地域名という「主語 -- 目的語」の組み合わせが3組並列し、最初の2つは「述語」を省略し、文末に1つだけ「おもに広がっている」という「述語」がある。3つの並列文の中には、「東南アジア、東アジアに」という並列表記が入り箱のように入りこんでいる。この地域名の区切りは読点(、)であり、3つの並列文の区切りも同じ読点である。「東南アジア・東アジアに」と中黒点を使えば少しわかりやすくなるという意見もあるだろう。「仏教は、東南アジア……」というふうに主語の後に読点を入れるとよいが、入れないのは、読点が多すぎてしまうためだろう。
知識があれば、「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教は」とくれば、「東アジアに」の次に何が省略されているかは想像がつく。しかし中学生では無理かもしれない。
(なお、文章内容の問題として、オセアニアをキリスト教で代表させるのはいかがなものか。)

3は、正答率 中学生9% 高校生33%。かなり低いが、一般の大人も意味を知らないようなアミラーゼ、グルコースといった専門用語があり、中学校の国語科のテキストとして適当かどうか問題があろう。
後半の文、「同じグルコースからできていても、形の違うセルロースは分解できない」というのがわかりにくいわけである。
文頭の「アミラーゼという酵素は、」で主語を示す読点があると少しわかりやすいだろう。
末尾の「セルロースは分解できない」の「は」は、目的語を示し、「デンプンを分解するが」の「を」と同じである。2つの並列文なのだが、目的語を示すのに「を」と「は」で助詞が異なる。「は」は、並列文のうち一方を強調したいときなどに使うものであるが、「セルロースを分解することはできない」と「は」の位置を変更すれば少しわかりやすくなる。

以上、新聞記事に取り上げられた3つの例文を見た限りでは、問題なのは、教科書の悪文であろう。

これらの悪文を、関係代名詞を用いた英語文に翻訳し、その英語文を、英語のロボット知能に解読させてみたとき、日本語のロボット知能より良い結果が出るような気がする。それは人間に対しても同様で、日本の児童よりも、英語圏の児童のほうが成績が良いことになりそうである。
あるいは、英語文を、日本語の悪文で翻訳し、「世界共通試験問題」として日本の児童に課すとしたら、どうなるであろうか。

(蛇足) 例文3で「中学生の正答率9%」といのは、四者択一の問題にしては低すぎないか。
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昭和天皇の仮名遣ひ

先年(平成27年(2015))、『昭和天皇実録』が公開刊行され話題になったが、中央公論社の新書判で『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利ほか著)を昨年読んだ。
終戦の御決断における貞明皇太后の存在。また、戦時中に天皇へ虚偽の報告ばかりしてゐた一部の大臣について、やはり天皇の御評価は戦後に至っても低いものであったことなど、あらためて再認識できた。

『「昭和天皇実録」の謎を解く』の中に、明治四十三年、昭和天皇が九歳のときの手紙が引用されてゐる。歴史的仮名遣ひで書かれた手紙の主要部分を、次に写し書きしてみる。アンダーラインは筆者によるもの。

「まだやっぱりおさむうございますが、おもうさま、おたたさまごきげんよう居らっしゃいますか、迪宮(みちのみや)も、あつ宮も、てる宮も、みんなじょうぶでございますからごあんしんあそばせ
私は毎日学校がございますから七じ四十五分ごろからあるいてかよひます
四じかんのおけいこをしまつてみうちにかへります。そしておひるをしまつてたいてい山や、村や、松林などにでておもしろく遊びます
またときどきせこに行ってにはとりなどを見て、これにゑをやることも有ります
またはまにでてかひをさがすことも有ります、しかし、かひはこちらにはあんまり有りません、葉山にはたくさんございますか
きのふはおつかひでお手がみのおどうぐやおまなをいただきましてありがたうございます。
おもうさま
おたたさま
  ごきげんよう
 二月四日 (以下略)」
(明治四十三年)

「やつぱり」でなく「やっぱり」などといふ表記は、原文通りではない可能性もあるが、「じょうぶ」「どうぐ」といふ字音の仮名表記は、そのままなのではなからうかと思ふ。
辞書を引くと、丈夫は「じやうぶ」、道具は「だうぐ」といふ仮名表記が見られる。
我が家には明治末から昭和前期(20世紀前半)に曾祖父などが書いたものが沢山保存してあるが、字音は「じょうぶ」「どうぐ」といった類の表記で、例外なく徹底してゐる。
曾祖父の場合は、「…のやうな」ではなく「…のような」などの表記であり、字音については徹底してゐる。
このような表記は当時一般に多く行なはれてゐて、昭和天皇も同様であったのだらうと思ふのである。中学生以上になれば、丈夫、道具などと漢字表記が普通とならう。

字音の仮名表記は、発音に近い表記で、といふことについては、昔から多くの支持があったわけで、一方における伝統といってもよい。
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