漢字の旧字体の話

 3月以来、漢字の旧字について熱中してしまって別の執筆がはかどらない。熱中した割りには、成果は少ないかもしれない。

 学生時代はお金もなく、古本屋で安売りの文庫本などを手にすると、旧漢字の本は少なくなかった。(当時を基準に)10〜20年前の古本がそうだった。古本でなくても岩波文庫の再版など旧字のものは少なくなかった。1970年代の話である。

 最近、昭和33年の筑摩書房の「現代日本文学全集」のうちの「夏目漱石集(三)」を見たところ、「現代日本」というタイトルではあるが、全文が旧字旧仮名である。しかし昔の本は活字のデザインが良いので、とても読みやすい。8ポイント文字は老眼の進んだ人には小さすぎるかもしれないが。

 昔の書籍を、当時の文字遣いのままpdfなどの電子本として再現できないかという動機だった。PCでは花園明朝Plusという一種の大量外字集を使えば、かなりのところまではできることがわかった。変換する文字のリストを作れば、変換プログラムで簡単にできなくはない。しかし「文字遣い」の問題が、ことをややこしくする。

 実際に古い本を、文字遣いを意識して見てゆくと、今の漢和辞典などが区別する旧字と新字とはずいぶん違う方式であることがわかる。一番の違いは、草冠を真ん中で分けて4画で書く字形が、大正時代の日本名著全集をはじめ、文芸書や一般書ではほとんど見かけない。折口信夫全集も然り。
親譲りの
 戦前の夏目漱石全集は、全ページの撮影画像を国会図書館サイトで見ることができるが、漱石独自の文字遣いがあるのがわかる。日本で一番有名な小説の書き出しは「親譲りの無鉄砲で子供の時から……」という文だが、最初の「親」という字の左上の「立」の先は、縦に短く書くのではなく、横方向に小さく一と書く版がある。この字形は漢和辞典などでは俗字・異体字とされるが、漱石の本では、新、薪なども横一本の書き方である。「帝、締」や「敵」などの「立」の先は、漱石では縦に短く書く。「化」の匕は斜め左下に突き抜けるが、「花」という字では、漱石は突き抜けていない。これらは漱石全集でも戦後の現代日本文学全集でも同じなのだが、全集は版によって違うかもしれない。
 節や郷を、卽のように書くのは、漱石以外でも昔は主流だったが、今の漢字学者の意見は違うようで、パソコンの字体では漢字学者の意見が主流のようである。漱石では、櫛だけは と書く。左下の2本の歯のような形が、いかにも櫛らしいからであろうか、というのはジョークではなく、案外当たっているのではないかと思う。櫛は折口信夫でも同じだった。
 折口信夫全集では、初や呪などの字形が、漱石とも違う。

 多数の作家を調べたわけではないが、作家によって異なる「文字遣い」があるように思う。仮名遣いと違って、文字遣いはルールが非常に緩く、私的な嗜好まで含めてしまっているようでもある。

 しかし、人によって字形が違っても、読むときに不便は感じないものである。漢字とはもともと1つの字にさまざまな字形があるものが当たり前だからだろう。たとえば「言」という字の一画めは、印刷物では短い横線だが、手書き文字でそう書く人は少なく、たいていは斜め方向の点1つに書く。こういう字形の違いについて、人は普段は意識したことはない。
 新字を使っていても文藝の藝だけは藝を使うケースは、馴れない人が読むと気になるかもしれないが、馴れればどうということはない。
 とにかく、変換プログラムのための変換リストは、作家の数だけ用意しなければならない場合もありうるのである。

 とはいえ、古い本に親しむためには、旧字はたくさん憶えておかなければならない。というより、親しんでいるうちに、自然に憶えるものであろう。
 古文書や昔の崩し字は、旧字をもとに崩してあるので、元の字を知らないと想像もつかないようなことになることもあるらしい。

ちなみに「親」という字について。漢和辞典によると、親の左側部分は「辛+木」から成り、辛は針のこと。木の位牌に敬意を込めて針を差し立て、それを見上げることから親の字になったという。針を立てるのなら、立の先は立っていなければならないわけだ。
「章」は、辛つまり針や刃物で入墨したことから始まり、針なので先は立つ。「童」も刃物と関係あるらしく、原義は子供ではなく牧童のような身分のことで、先は立つ。
「商」は、台の上に音を意味する章から成り、章と同様に先は立つ。
「帝」、3本の縦の線を真ん中でまとめる形。1つにまとめるので、先は立つ。下からまとめるので、全体を逆三角形に書くべきではなからう。
 滴の右側は、啻という字が元なので、帝と同じ。

「音」は、言という字の口に何か挟んだ形からできた字なので、言と同様に、先は横線になる。この字だけが横である。
 これらの字はみな「立」という形に見える部分を含むが、どれも「立」という字とは無関係である。
 親の位牌に針や釘を立てるというのは、近世以後の日本人には思いもつかないことである。むしろ親とは小言を言うもの、上から雷を落とす存在だと思えば、「言」や「音」と同じように、先は横の線に書きたくなるのが、われわれ日本人の感覚ではなかろうか。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

大野晋『日本語の起源』

高校時代(1971)の夏、父の書棚にあった 大野晋『日本語の起源』(岩波新書)
を手に取って読み始めてみたら、そのまま一気に読み終へてしまった。
一般向けの「大人の本」を数時間で読了したのは初体験だったので、すがすがしい読後感が残ることになった。本は1957年発行の旧版。

本の内容は、言葉(単語)の語形や発音が、時代によって変化してゆくこと、地方には方言といふ形で変化した語形があること、それらの変化には法則性があること、などが書かれてゐた。
大野氏の本を次に読むのは1974年の『日本語をさかのぼる』であり、高校から大学にかけてのこの3年間は、長く感じられた時代だった。

「その人が青年期に負った心の傷、あるいは青年期に自分自身に課した課題というものがある。その傷を癒し、その課題を解く、その仕事を一生かかっていろんな形で具体化しようとする。そこに学問が形をなしてくる。」(大野晋)

これは『語学と文学の間 』(岩波現代文庫 2006)の中の一節だと思ふ。氏は少年時代に万葉集と出会ひ、万葉の古い言葉を理解するために、国語学の道へ進んだとのことである。青年期の「心の傷」とはどんなものだったか。大野氏には、国語学者としては異例(?)にも見えるいくつかの発言などがあり、そのへんに鍵があるような気がする。どんなものかといふと、

1、狭山事件における脅迫状の文章鑑定。高学歴の者の作文であることを論証した。

2、埼玉県稲荷山古墳から出土の鉄剣の文字の解釈。ワカタケル大王は雄略帝ではなく欽明帝だといふ。これについては埼玉県史通史編では雄略帝としながらもその根拠の薄弱であることが見てとれる。

3、本居宣長の再婚をめぐるいきさつについての説。丸谷才一が『恋と女の日本文学』でも紹介した。日本文学についての深い理解がなければとうてい見抜けないものだろう。

4、タミル語をめぐる古代文化研究

ところで、大野氏の日本語タミル語起源説について、当時(1981-81)の批判側の雑誌2冊(季刊邪馬台国10号11号)を読んでみた。あまりレベルが高そうな雑誌ではなかったが、読んだ印象としては、西洋の比較言語学とは、19世紀自然主義の流れの中で成立したものなのだらうといふことだった。
この同じ流れの中には、まづ、生物学のダーウィニズムがある。日本文学では、あの私小説的世界(丸谷才一が嫌ふあれである)。最近気づいたのは、日本の歴史のいはゆる江戸時代暗黒時代説も、これらと同時代的な価値観によるものだらう。
……と書いただけでは説明不十分なのだが、続きは、後日、書いてみよう。他にも説明を簡略しすぎた部分がある。

(補足)丸谷才一の名前が2度出たが、氏のものを最初に読んだのは、大野氏と共著の『日本語相談』(1989)だった。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

歴史的仮名遣ひ(本ブログの表記)

歴史的仮名遣ひは。少しのルールをおぼえるだけで、それほど難しいものではない。

歴史的仮名遣ひがどんなものかについては、Wikipediaの記述がわかりやすい内容になってゐる。
歴史的仮名遣ひは、平安時代の古今集から源氏物語・枕草子などの女流文学全盛時代の仮名遣ひを手本に、江戸時代に本居宣長が集大成したものであるが、字音仮名遣(祈願をキグワンと表記)は歴史的仮名遣ひとは別のものとする考へが広く存在し、時枝誠記・福田恒存・丸谷才一らの名がWikipediaであげられてゐる。この三人は昭和時代以後に活躍した人だが、明治時代からこうした考へはあった。それで良いと思ふ。

字音仮名遣ひについては、要するに、漢語である「祈願」にキグワンなどとふりがなを付けるときに意識されることもあるが、普通はいちいち仮名はふらないので、さほど問題にはならない。
例外的に、仮名表記が普通のものがいくつかある。
 …の様な …の様に
これらも、「…のような、…のように」で良いと思ふ。(丸谷氏は、例外的に「やう」)
 「…の所為で」は、当て字なのだが、「為」の字にとらはれて「…のせゐ」と書く人もいるが、「せい」が正しいようである。

そのほかでは、語源説の問題かもしれないが、指示代名詞ないし接続詞の類の
「かうして、さうして、だうして」も、
「こうして、そうして、どうして」と表記した昔の人の例がある。
「かうして」は「かくして」の音便形かもしれないが、「さうして」は、単に「さ」を伸ばしただけなのかよくわからないし、「そして」といふ短縮形との関係はどうなのか。
わが先祖の例もあるので、「こうして、そうして、どうして」と表記することにした。

仮名遣ひではなく、漢字表記の問題については、
丸谷氏は、「文芸」ではなく「文藝」、「証明」ではなく「證明」など、いくつかのこだはりがあるようだ。たしかに江戸時代の「證文」などは、「証文」と書いては、個人の文書ではなくお役所の文書みたいででぴったりこない。こういふのは個人のこだはりで良いと思ふ。
また、戦後の代用漢字のようなもの…… 例へば「障碍」を「障害」と書く例では、おそらく公文書で「障害」の表記が徹底されてゐると思ふので、現行に従ふのもやむをえないかもしれない。「障碍」といふ表記はほとんど見かけない。
「麻薬」を正しく「痲薬」と書く人も、今は少ないかもしれないが、「痲痺」は見かける。「麻薬」は法律家の表記で、「痲痺」は医者の表記であることがその理由かもしれない。「痲痺」は2文字とも「病だれ」であるのに、1字だけ勝手に変へるのもをかしい。
大麻といふ植物から作られる痲薬の一種であるタイマは、大痲でなく大麻と表記されるようになったが、その経緯は不明である。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

教科書の悪文について

東京新聞(8.21)に『教科書 読み取れない』『中学生 複雑な文章苦手』という大きな記事が載っていた。「中学生の半分近くが教科書を正しく読み取れていない」というので、それならば、ゆゆしき問題のようにも読める。日本の中学生はまだ発展途上のロボット知能程度の能力だともいう。
しかし記事はどうも歯切れの悪い文章が続くので、途中で、記事の別枠に例示してある、教科書からの試験問題3問を読んでみた。

どうということはない、教科書の文章というのは、悪文の見本のような文章である。

現代の悪文の代表例は、要するに、英語文の関係代名詞を直訳したときに複雑怪奇な構文となるような、あの文章のことである。
そこで3つを検討してみよう(画像参照)。

1は、正答率はかなり高かったらしい。
「太陽の400万倍の質量もつ」が「ブラックホール」に係り、「太陽の」の直前に句読点もあり、わかりにくさは少ない。「太陽の400万倍の質量もつ」と断定的な強い表現があるが、文末は「推定されている」と弱い表現になるのがやや奇妙な感がある。おそらくは「太陽の400万倍の質量もつ」ものが存在することは様々な観測結果から明白なことなのだが、太陽のように光を発しないので、仮に「ブラックホール」と呼んだ、というような経緯が反映されてのことかもしれない。

2は、正答率 中学生53% 高校生81%。
宗教名と地域名という「主語 -- 目的語」の組み合わせが3組並列し、最初の2つは「述語」を省略し、文末に1つだけ「おもに広がっている」という「述語」がある。3つの並列文の中には、「東南アジア、東アジアに」という並列表記が入り箱のように入りこんでいる。この地域名の区切りは読点(、)であり、3つの並列文の区切りも同じ読点である。「東南アジア・東アジアに」と中黒点を使えば少しわかりやすくなるという意見もあるだろう。「仏教は、東南アジア……」というふうに主語の後に読点を入れるとよいが、入れないのは、読点が多すぎてしまうためだろう。
知識があれば、「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教は」とくれば、「東アジアに」の次に何が省略されているかは想像がつく。しかし中学生では無理かもしれない。
(なお、文章内容の問題として、オセアニアをキリスト教で代表させるのはいかがなものか。)

3は、正答率 中学生9% 高校生33%。かなり低いが、一般の大人も意味を知らないようなアミラーゼ、グルコースといった専門用語があり、中学校の国語科のテキストとして適当かどうか問題があろう。
後半の文、「同じグルコースからできていても、形の違うセルロースは分解できない」というのがわかりにくいわけである。
文頭の「アミラーゼという酵素は、」で主語を示す読点があると少しわかりやすいだろう。
末尾の「セルロースは分解できない」の「は」は、目的語を示し、「デンプンを分解するが」の「を」と同じである。2つの並列文なのだが、目的語を示すのに「を」と「は」で助詞が異なる。「は」は、並列文のうち一方を強調したいときなどに使うものであるが、「セルロースを分解することはできない」と「は」の位置を変更すれば少しわかりやすくなる。

以上、新聞記事に取り上げられた3つの例文を見た限りでは、問題なのは、教科書の悪文であろう。

これらの悪文を、関係代名詞を用いた英語文に翻訳し、その英語文を、英語のロボット知能に解読させてみたとき、日本語のロボット知能より良い結果が出るような気がする。それは人間に対しても同様で、日本の児童よりも、英語圏の児童のほうが成績が良いことになりそうである。
あるいは、英語文を、日本語の悪文で翻訳し、「世界共通試験問題」として日本の児童に課すとしたら、どうなるであろうか。

(蛇足) 例文3で「中学生の正答率9%」といのは、四者択一の問題にしては低すぎないか。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

昭和天皇の仮名遣ひ

先年(平成27年(2015))、『昭和天皇実録』が公開刊行され話題になったが、中央公論社の新書判で『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利ほか著)を昨年読んだ。
終戦の御決断における貞明皇太后の存在。また、戦時中に天皇へ虚偽の報告ばかりしてゐた一部の大臣について、やはり天皇の御評価は戦後に至っても低いものであったことなど、あらためて再認識できた。

『「昭和天皇実録」の謎を解く』の中に、明治四十三年、昭和天皇が九歳のときの手紙が引用されてゐる。歴史的仮名遣ひで書かれた手紙の主要部分を、次に写し書きしてみる。アンダーラインは筆者によるもの。

「まだやっぱりおさむうございますが、おもうさま、おたたさまごきげんよう居らっしゃいますか、迪宮(みちのみや)も、あつ宮も、てる宮も、みんなじょうぶでございますからごあんしんあそばせ
私は毎日学校がございますから七じ四十五分ごろからあるいてかよひます
四じかんのおけいこをしまつてみうちにかへります。そしておひるをしまつてたいてい山や、村や、松林などにでておもしろく遊びます
またときどきせこに行ってにはとりなどを見て、これにゑをやることも有ります
またはまにでてかひをさがすことも有ります、しかし、かひはこちらにはあんまり有りません、葉山にはたくさんございますか
きのふはおつかひでお手がみのおどうぐやおまなをいただきましてありがたうございます。
おもうさま
おたたさま
  ごきげんよう
 二月四日 (以下略)」
(明治四十三年)

「やつぱり」でなく「やっぱり」などといふ表記は、原文通りではない可能性もあるが、「じょうぶ」「どうぐ」といふ字音の仮名表記は、そのままなのではなからうかと思ふ。
辞書を引くと、丈夫は「じやうぶ」、道具は「だうぐ」といふ仮名表記が見られる。
我が家には明治末から昭和前期(20世紀前半)に曾祖父などが書いたものが沢山保存してあるが、字音は「じょうぶ」「どうぐ」といった類の表記で、例外なく徹底してゐる。
曾祖父の場合は、「…のやうな」ではなく「…のような」などの表記であり、字音については徹底してゐる。
このような表記は当時一般に多く行なはれてゐて、昭和天皇も同様であったのだらうと思ふのである。中学生以上になれば、丈夫、道具などと漢字表記が普通とならう。

字音の仮名表記は、発音に近い表記で、といふことについては、昔から多くの支持があったわけで、一方における伝統といってもよい。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

絵経

絵経盛岡てがみ館 http://www.malios.co.jp/~mfca/tegami/
で5月初旬まで行われた「諸資料が物語る幕末の盛岡藩」という企画展のパンフレットに、絵経が掲載されていた。それを見ながら、なんと読むのだろうかと首をひねっていた。
「吉祥陀羅尼」というお経の名前を頼りに、調べてみた。

消災妙吉祥陀羅尼(しょうさいみょうきちじょうだらに)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/shousaijyu.htm

上記ページとは繰返し部分が若干異なるが、「きちじょうだらに」で始まり、最後は「しりえい そもーこー」と読むのだろう。

「そもーこー」は「そわか」ともいうようだ。蜂に刺されたときなどの呪文に「……アビラ、ウンケン、ソワカ」というのがあったが、ソワカとは、仏の誓が成就する意味になるのだろう。
消災妙吉祥陀羅尼は、庶民の大師講や太子講でも、「般若心経」や「大悲心陀羅尼」などとともによく唱えられると、越前の永平寺関連のページにあった。

絵経は文字の読めない庶民のためのものという。全部ひらがなにしないところに、文字や図象に対する信仰があるようにも思う。幕末に流行した「神代文字」に似た点もある。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

すさまじきオヤジギャグ

むかし高校の古文のテストで、「すさまじ」の現代語訳を書けという問に、「しらける」という流行語を書いてしまって良い点をもらえなかったことがある。

枕草子に「すさまじきもの」という段がある。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/makuranosousi.htm#su
そのなかの牛車の話に……
必ず来ると言った人(男)に女が牛車を差し向けて待っていると、牛車が帰って来た音が聞えたので、門が見えるところまで出てみた。ところが牛車は門の前を通り過ぎて行って、脇の車庫に入ってしまった。男は今日は来ないらしい。……こういうのが「すさまじ」ということのようである。期待を持たせてがっかりさせるもののこと、という感じで、辞書ではよく「興ざめする」意味と書かれる。

枕草子の冒頭には「すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣……」とある。
「春の網代」というときの「網代」とは、冬に川の流れの中ほどに仕掛けておく魚を採る篭のことで、網代は冬を連想するものである。また「火おこさぬ炭櫃」も「すさまじきもの」というからには、「期待をさせてがっかりするもの」のほかに「寒い」という意味もあるのだろうと、金田一春彦氏の本にある。
「三、四月の紅梅の衣」とは、桜や牡丹の季節に、梅の模様の衣を着ている人を見たら、梅の季節を思い出して寒々しいということだろう。

さてちょっと知性派のようなおじさんの話を、まあまあ良い話だなと思って、続きを期待しながら聞いていると、突然オヤジギャグのダジャレを言い出す。こういうときに若い人は「さむい」と言う。「寒い」を意味する言葉を「がっかりする」という意味でも使うのは、現代の若者も、清少納言も同じだということになる。(ちなみに、こういうダジャレをある時代の高校生は「しらける」と表現した)。

「すさまじい」は「凄じい」と書くが、平安時代の辞書には「凄」という漢字に「さむし」という訓が書かれているという(金田一氏による)。「寒い」という意味から「ものすごい」という意味になるのは、寒気がして鳥肌が立つほど驚いた、または恐ろしいという意味なのだろうか。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

敬語が乱れる理由

NHKテレビで韓国の宮廷ドラマをちらと見たら、身分の高いと思われる人たちの言葉遣いが、ぞんざいで品がないことに違和感をおぼえた。2,3年前に某人気狂言師のシェイクスピア劇(翻訳劇)を観たときも同様の印象を持った。王子が自分のことを「俺」などと言ってみたり、そのほか要するに丁寧語すら使わないのだった。

「敬語が乱れている」とは、このことだろうと思った。学校敬語の分類でいう尊敬語と丁寧語と謙譲語の区別がわからなくなってしまった現象の一つなのだろう。身分の高い人は下の者に対して敬語一般を使わず、だから丁寧語も使わないのだろうという誤解である。

日本のドラマや映画でも似た傾向はあるのだろうが、いくらかは「まろは」とか「〜してたも」とかいう言葉は今の人にも理解されていると思う。「〜してたも」とは「〜して賜へ」が縮まったものなので尊敬語ということになるが、下の者に対しても使われる。これを語源は尊敬語だが下の者に使うときは丁寧語などと分類したがる人もいるのだろうか。それは不明だが、それぞれの職能などを尊重すれば下の者にも尊敬語を使うことはありうることである。それは人間の社会にとって非常に大切なことだと思う。

現在なぜ敬語が乱れるのか。その理由は簡単なことだと思う。
敬語は人間の上下関係で使いわけるものだと教えられているにもかかわらず、立場や権力が「上」にある人物の多くが、尊敬に値しない人物だからである。無理に使おうとしても、尊敬の気持ちが伴わないからである。

敬語を守るということなら、必要なことは、形式だけのルールを学校で教え込むことよりも、「上」にある者すべてが尊敬に値する人物にならなければならないということだろう。
しかしそれが難しいことであるなら、同じ立場の者どうしや、下の者に対しても、ちょっとした敬語を使う生活も良いのではないかと思う。

赤の他人に対して敬語を使うという慣習は昔からあったのである。それも崩れかけている印象がある。
これらも、近年の日本人が中国や韓国朝鮮の悪口を平気で言えるようになってしまったことや、ちょっとでも異質な子供をいじめるような風潮と無関係ではないのだろう。
言葉が社会を映しているということだろう。
comments (1) | trackbacks (0) | Edit

地名のアクセント

長野県の長野という地名の発音は、地元では尻上がりのアクセントでナガノ(太字は高アクセント、以下同じ)というようだ。埼玉県の行田市の埼玉(サキタマ)も、郡名の埼玉も、尻上がりアクセントの発音である。

金田一春彦氏の話によると、英語のコップ(cup)やバスケット(basket)のアクセントは語頭にあるが、日本語に移入されてから長く日常生活に馴染んで来ると、コップ、バスケットと尻上がりのアクセントに変化してゆく傾向があるという。だから今の若い人たちが「彼氏」を尻上がりアクセントで発音するのは日本語の日常語の法則に適ったものであって、日本語の乱れとは言えないという。

地名はもともと地元の生活によく馴染んできたものが大多数なので、尻上がりアクセントが多いのだろう。ところが「埼玉」などの古い村名が、郡名や県名へと"昇格"されるにつれて、語頭アクセントに変ってしまうのは、地元以外のより広い地域でも呼ばれるようになるため、地元以外の人の発音が優勢となってしまうのだろうと思う。
埼玉県の郡名の例では、入間、比企、大里、幡羅、児玉など語頭アクセントになっているものが多い。

明治22年以後の村名はどうかというと、以下に例としてとりあげる今の埼玉県熊谷市西部から深谷市にかけての旧村名の例では、語頭アクセントは少ない。そして、それらにはそれぞれの事情があるようである。その地域の語頭アクセントの地名は次の通り。

今の深谷市の、渋沢栄一の出身地の旧村名の八基(ヤモト)は、八つの小さい村が合併して明治に成立した新しい地名である。また戦後熊谷市に編入された大幡(オハタ)は、旧大里郡と旧幡羅郡の郡鏡付近のいくつかの村が合併したときに、郡名の大里と幡羅から1文字づつ取って大幡とした新地名である。新地名は語頭アクセントになる傾向があるようだ。
幡羅(タラ)は、旧幡羅郡の中心地という理由で明治時代に命名された村名で、郡名のアクセントがそのまま使われたものと思われる。
別府(ベップ)という地名はアクセントは語頭と尻上がりと二種類あるように聞えるが、もともと役所の出先機関の意味なので、役所関係の人々の語頭アクセントが優勢になったり、他の同名の地名アクセントにつられたりということかもしれない。
深谷市に編入された新会(ンガイ)、熊谷市東部の成田(リタ)については、武将の新開氏、成田氏の苗字のアクセントの影響なのだろう。
以上のように、語頭アクセントの地名は、それぞれの経緯の事情を説明できてしまうように思われる。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

春夏冬二升五合

最近見聞きしたいくつかの洒落のきいた話。

ある料理屋の壁に飾られた色紙に次のように書かれてあった。
 「春夏冬
  二升五合」
「春夏冬」は秋が無いので「商い」のことだとすぐわかったが、「二升五合」の読み方に困って、同席の70才くらいの風流そうな人に聞いてみた。つまり「二升」は一升桝が2つでマスマス(桝桝)、「五合」は一升の半分だからハンジョウ(半升)。「商い益々繁昌」となる。昔の風流な人が店のお祝いの時にでも書いて贈ったものなのだろう。

ある上棟祭のときに神様にお供えする魚や野菜を大工さんが用意することになった。大工さんの手帳には野菜に「大根」と書いてあって、もっと高額なものを用意できる予算はあるのだが、大根は「胸がやけないから」大根なのだという。「棟が焼けない」を掛けているわけである。
上棟祭のときの引出物はどこの家でもヤカンと決まっていたものだった。これも家を「焼かん」という意味である。

人丸神社(ひとまるじんじゃ)が「火止まる」で火防せのご利益があったり「人生まる」で子授けや安産のご利益というのも、語呂合わせから始まったものなのかもしれないが、長い年月にわたって繰り返されているうちに、一つの信仰の形に定まってゆくのだろう。
現在でも、結納品の品目の「子生婦(コンブ)」やら「寿留女(スルメ)」といった書き方は、一式がセットで販売されていることもあって、よく知られていると思う。
comments (0) | trackbacks (0) | Edit

  page top