3月18日の命日

旧暦3月18日は、柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の命日であるといわれる。和歌に秀で、庶民にも人気のある3人が同じ命日の伝説をもっている。中西進氏によれば、桜の散るころの意味だろうという。桜の散るころが季節の重要な節目であって、季節がよみがえり、そのことに歌が深く関わってくるものなのだろうと想像できる。
旧暦の3月は早ければ彼岸の中日の翌日から始まるので、18日ごろが桜の散るころになることもあるのだろう。

西行法師の命日は2月16日といわれるが、有名な歌がある。

 願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ  西行

如月の望月・つまり旧2月15日ごろに桜が見られ、そのころが自分の死ぬときだという。15日は釈迦の命日で、西行は1日遅れ。伝説も釈迦に遠慮したのだろう。旧暦2月15日は、遅ければ新暦4月上旬ごろにずれこむこともあるので、桜が咲くころである。

2月15日ごろに桜が咲き、3月18日ごろ桜が散る、というのはもちろん同じ年の出来事について言っているわけではない。何か釈然としない部分もあるが、要するに、日本人は、人の死と桜について深い連想を抱き続けてきたのだろう。
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古代の自殺

昨秋、山田の案山子とクエビコの記事のとき参照した、『谷蟆考 −古代人の自然−』(中西進著)という本は、その副題「古代人の自然」の通りの興味深い内容である。
その中で「古代人の自殺」という一節について。

古代の男性たちの自殺は政治的なものが多いが、女性たちの場合は、ひそやかで一途で、つまりは人間的といえるものだと述べられている。
万葉集で知られる、二人の男の求愛に悩んで大和の耳無池に身を投げた鬘児、生田川の菟原少女、葛飾の真間の手児奈。大和物語の奈良・猿沢池の采女など。
それより古い時代の古事記の話では、たとえば垂仁天皇の時代に、夫である天皇よりも兄を選んだ佐保姫や、姉妹の中で醜女であったために郷里へ帰されたことを恥じて自殺したマトノヒメの時代は、より激しい情念のようなものも感じられる。

ところで、伝説物語に登場する女性たちはみな神に関わった女性たちであるという折口信夫の言葉に従えば、「人間的」であるとともに「宗教的」でもあるのだろう。

同書でも紹介される雄略天皇の皇女、栲幡皇女は、男との不義の疑いをかけられ、身の潔白を証明するために自殺した。皇女は斎宮でもあった。
壬申の乱で敗れて自殺した大友皇子の妃、十市皇女は、勝利した側の英雄、高市皇子に乱後に求愛されていたといわれる。皇女の突然の死は、それが原因の自殺ではないかと思われる。大友皇子が天皇に即位していたとすれば皇女は皇后であり、前皇后への求愛はありうべかざるものなのだろうが、相手方は即位についての認識が異なるのかもしれない。

一般の男性が求愛してはならない女性たちが、伝説物語の主人公になっていったのだろうと思われる。
あえてそれを犯す男は、在原業平のように流浪しなければならないし、光源氏も似たところがあるのだろう。
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地名のアクセント

長野県の長野という地名の発音は、地元では尻上がりのアクセントでナガノ(太字は高アクセント、以下同じ)というようだ。埼玉県の行田市の埼玉(サキタマ)も、郡名の埼玉も、尻上がりアクセントの発音である。

金田一春彦氏の話によると、英語のコップ(cup)やバスケット(basket)のアクセントは語頭にあるが、日本語に移入されてから長く日常生活に馴染んで来ると、コップ、バスケットと尻上がりのアクセントに変化してゆく傾向があるという。だから今の若い人たちが「彼氏」を尻上がりアクセントで発音するのは日本語の日常語の法則に適ったものであって、日本語の乱れとは言えないという。

地名はもともと地元の生活によく馴染んできたものが大多数なので、尻上がりアクセントが多いのだろう。ところが「埼玉」などの古い村名が、郡名や県名へと"昇格"されるにつれて、語頭アクセントに変ってしまうのは、地元以外のより広い地域でも呼ばれるようになるため、地元以外の人の発音が優勢となってしまうのだろうと思う。
埼玉県の郡名の例では、入間、比企、大里、幡羅、児玉など語頭アクセントになっているものが多い。

明治22年以後の村名はどうかというと、以下に例としてとりあげる今の埼玉県熊谷市西部から深谷市にかけての旧村名の例では、語頭アクセントは少ない。そして、それらにはそれぞれの事情があるようである。その地域の語頭アクセントの地名は次の通り。

今の深谷市の、渋沢栄一の出身地の旧村名の八基(ヤモト)は、八つの小さい村が合併して明治に成立した新しい地名である。また戦後熊谷市に編入された大幡(オハタ)は、旧大里郡と旧幡羅郡の郡鏡付近のいくつかの村が合併したときに、郡名の大里と幡羅から1文字づつ取って大幡とした新地名である。新地名は語頭アクセントになる傾向があるようだ。
幡羅(タラ)は、旧幡羅郡の中心地という理由で明治時代に命名された村名で、郡名のアクセントがそのまま使われたものと思われる。
別府(ベップ)という地名はアクセントは語頭と尻上がりと二種類あるように聞えるが、もともと役所の出先機関の意味なので、役所関係の人々の語頭アクセントが優勢になったり、他の同名の地名アクセントにつられたりということかもしれない。
深谷市に編入された新会(ンガイ)、熊谷市東部の成田(リタ)については、武将の新開氏、成田氏の苗字のアクセントの影響なのだろう。
以上のように、語頭アクセントの地名は、それぞれの経緯の事情を説明できてしまうように思われる。
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春夏冬二升五合

最近見聞きしたいくつかの洒落のきいた話。

ある料理屋の壁に飾られた色紙に次のように書かれてあった。
 「春夏冬
  二升五合」
「春夏冬」は秋が無いので「商い」のことだとすぐわかったが、「二升五合」の読み方に困って、同席の70才くらいの風流そうな人に聞いてみた。つまり「二升」は一升桝が2つでマスマス(桝桝)、「五合」は一升の半分だからハンジョウ(半升)。「商い益々繁昌」となる。昔の風流な人が店のお祝いの時にでも書いて贈ったものなのだろう。

ある上棟祭のときに神様にお供えする魚や野菜を大工さんが用意することになった。大工さんの手帳には野菜に「大根」と書いてあって、もっと高額なものを用意できる予算はあるのだが、大根は「胸がやけないから」大根なのだという。「棟が焼けない」を掛けているわけである。
上棟祭のときの引出物はどこの家でもヤカンと決まっていたものだった。これも家を「焼かん」という意味である。

人丸神社(ひとまるじんじゃ)が「火止まる」で火防せのご利益があったり「人生まる」で子授けや安産のご利益というのも、語呂合わせから始まったものなのかもしれないが、長い年月にわたって繰り返されているうちに、一つの信仰の形に定まってゆくのだろう。
現在でも、結納品の品目の「子生婦(コンブ)」やら「寿留女(スルメ)」といった書き方は、一式がセットで販売されていることもあって、よく知られていると思う。
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