トンボの国、秋津洲・日本

ふと、トンボを見かけるようになり、秋を感じる季節になった。

高知県では、初秋(旧暦)のお盆のころに現れるトンボは、先祖の霊であると信じられ、この季節に現れて子孫を守り、秋の稔りを約束して、山に帰って行くのだという。

というようなことが書かれた本があったのだが、トンボを先祖の霊と考えたのは、日本の各地でも同様だったらしい。
東北地方では、トンボを方言でダンブリといい、だんぶり長者の昔話が東北各地に伝わる。この話も、祖霊の恵みによって長者となったということなのだろう。

日本書紀によると、神武天皇が大和国の腋上(わきがみ)の地を訪れて国見(くにみ)をなさったとき、国を愛でて、「この国は、蜻蛉(あきつ)がつがったような形をしている」といわれたことから、日本を「秋津洲(あきつしま)」というようになったという。アキツとはトンボの古語とされる。季節ごとには祖霊が訪れ、恵み豊かな国という意味なのだろう。
古事記では本州の島のことを「大倭豊秋津島」と名づけている。

女性、とくに舞を舞う女性の、透き通ったような美しい衣装は、万葉時代には、トンボの羽にたとえられて「あきつは」と形容された。

 あきつ羽の袖振る妹を、玉くしげ奥に思ふを見たまへ、わが君  万葉集

一般に虫についての信仰や伝説には、吉凶両面のあるものが多いのだが、トンボについても同様で、万葉集には詠まれたのだが、平安時代以後(近世まで)は、歌の世界に現れることはなかったらしい。このへんのいきさつは、時間があったら調べてみたいところである。

西洋では、トンボは不吉な面ばかりが伝わる。あちらでは虫の声も雑音としか聴こえないという話もあり、迷惑な存在と見てしまうのだろうか。西洋の俗信では、子どもがうそをつくとトンボの尾の針で唇を縫われてしまうというのがあり、トンボに唇から美酒をそそいでもらった「だんぶり長者」の話とは好対照なのかもしれない。ドイツ語ではトンボの異名を「Wasserjungfer」といい「水辺の乙女」の意味であるというので、何か古い伝説はあるのだろう。
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叶福助

叶福助福を呼ぶという縁起物の福助人形の起源は、はっきりしないようだが、いくつかの資料を総合すれば、享和年間(1800-04)から文化元年(1804)までには、江戸で最初に売られ始めたらしい。
小柄で頭の大きな風貌のモデルは、摂津国の百姓の子であるとも、京都の呉服屋・大文字屋の主人であるともいうが、宮田登氏のよると(「庶民信仰の幻想」)、江戸吉原の娼家の大文字屋の主人だったともいう。

土の焼き物、または張り子で作られた福助人形は、小さな座布団の上に置かれ、大黒様のように棚や祠に祀られ、福を呼ぶ神として流行したという。

  今年よりよい事ばかりかさなりて、心のままに叶福助

という落首もある。「叶(かのう)」が福助の苗字なのだろう。

一部では女のお多福人形と並べて祀られたこともあったらしいが、福助そのものは子どものようでもあり、フクは火を吹くにも通じるのかもしれない。大きな頭は知恵の象徴のような気もしないではないが、当時はそういうイメージはなかったようだ。
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週刊百科雑誌

大判で30ページくらいでオールカラー、毎週買い揃えると本格的な専門百科事典のようになりそうな雑誌を、書店でよく見かける。中高年向きの教養シリーズのようなテーマが多いのだが、有名神社探訪のシリーズを買い始めたある人が、途中で飽きてきたようなことを書いていたのは、内容に新しさがないからなのだろう。
創刊号だけ半額低度の値段で売っていることも多いので、あるCD付きの童謡唱歌シリーズを一冊買ったことがあるが、掲載写真は郷愁とは別のリアリズムに満ちたもので、あまり良いものではなかった。あまり期待できるものはなさそうな気がする。

昭和30年代にブームだった画報雑誌は、文章はダメだが、写真は良いものが多く、山田書院の『伝説と奇談』シリーズなどには古い錦絵もふんだんに載っていて大事にしている。同じような内容で昭和40年ごろにリメークされてハードカバーとなった『日本の伝説』は、新しい専門家の解説などは良くなったが、巻頭のカラー写真は、石仏や人物の接写写真が多く、良いものではない。黒い影の部分やごつごつした部分、一部の赤色などが強調され、その時代の写真家の好みなのかと思った。映画でもやけに顔のアップの多いものが流行った時代である。大きな写真で万葉の名歌を訪ねるにしても、そのような写真のイメージでは、今では違和感があることだろう。音楽でもモーツァルトよりベートーベンやシューベルトの人気のほうがずっと高かった時代である。

10年以上前の「週刊朝日百科 日本の歴史」シリーズは、中世史をはじめ最近の有力な学説などが次々に紹介されて良かったので、古本屋でバインダー付きの揃いのものを買ったら、1冊50円くらいの計算だった。
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蔵書管理ソフト

パソコンで蔵書目録を作って管理するソフトウェアを使い始めてみた。
書庫の中で、本の背表紙を眺めながら、いろいろ思うことがあったり、何かの発想が思い浮かんだりすることもあったが、全てのリストをノートパソコンに入れておけば、書庫ではない場所でもそれに近い経験ができるかもしれない、などなど。

したがって管理ソフトは、一覧表のようなものが表示できなくてはならない。起動してすぐ検索キーワード入力になるようなソフトは困る。
Windows98でも使用できるものとして、次の3つが候補にあがった。
 1.私本管理Plus、 2.蔵書管理、 3.Bookshelf Application。
このうちの 3 は、マイクロソフト社の別ソフトが必要とのことで試みていない。2 はできあがったデータを検索する機能は良いのかもしれないが、データを構築してゆく上での操作法に難があるように思えた。結局、1 の「私本管理Plus」にした。

家には何冊くらいの蔵書があるのか不明である。当初は3万〜5万はあるのではないかと思ったが、実際に全体の1割ちょっとくらいだと思うが、そのくらいの量のリストができあがってみると、1600冊。全部で1万を越えるかどうか微妙なところである。「全部」というのは古いマンガや雑誌類を含めての数である。
すでに100冊以上は、この際、処分することに決めた。この際どんどん処分して、最終的には、5000冊程度が残れば良いと思う。

途中までできあがったリストから、著者ごとの冊数の順位を見ると、どういった人にお世話になってきたかがわかる。(小説やマンガは未着手)。
 90冊以上あるのが、柳田国男と折口信夫。ハードカバーの全集のほかに文庫判全集も揃っているので、こういう数字になる。
 30冊以上、
大野晋。意外だったが、国語の他に国文学に触れた著作も多く、かなり文庫や新書になっている。
 20冊以上
池田弥三郎。文庫本や親しみやすい内容の本が多いということ。
杉浦日向子。この人についてはマンガも含む。
中西進。万葉集にとどまらず、古代史関係の本も多い。
 10冊以上
宮本常一、谷川健一、梅原猛、網野善彦、丸谷才一、宮田登、金田一春彦、森浩一。
 9冊
和歌森太郎、吉田東伍(地名辞書)、山本健吉、鈴木棠三、司馬遼太郎、大岡信、藤沢衛彦、樋口清之、
  (以上は、リスト作成途中のもの)

●補足
以上は2006年8月のものだが、同年9月までに3000冊超のリストを作った。歴史・民俗学・国文学・国語学関係のもののみ。ムック類含む。
未着手の分野は、近代文学・西洋哲学・神道-神社関係・自然科学・心理学・音楽・美術・漫画評論・漫画など、これらを含めて1万弱と推定される。
2012年までの6年間でおよそ2000冊増えたと思う。管理ソフト用のバーコードリーダーは購入したが、追加分のリストは未作成。そのうち数十冊単位で多い著者は、宮本常一、丸谷才一、稲垣史生など。
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綱引きの起源、その他

丸谷才一氏のエッセイで、今は国際的なスポーツ競技にもなっている綱引の起源にふれたものがある。柳田国男や他の学者の説を引用しながら、九州南部や南西諸島に今も伝わる藁で大きな龍神をかたどったものを大勢でかかえ上げて引きまわし、水神の恵みや豊作豊漁を祈願する祭に起源があるのだろうという。そんななかで、オスの龍とメスの龍を結合させて引きまわす地方もあることから、性的なものが豊饒のシンボルであることは多いので、それが最も古いかたちではないかと書かれる。しかし柳田国男はそこまでは言わない。柳田翁は性的な表現を避けるきらいがあると丸谷氏は述べる。

氏の別のエッセイで、おんぶや肩車の起源についての話でも、遠い昔の神事で神が現れたときの形式を伝えるものだろうという柳田翁の言葉を紹介しながら、やはり柳田翁は性的な表現までは立ち入らないのだと書かれる。その点、折口信夫はそういう表現に躊躇しないのだという。

以前、地名によくあるクラという言葉の意味を、『柳田国男集』の索引を手がかりに調べたことがあるが、説明になんとなく物足りなさを感じた。そのとき私が思ったことは、丸谷氏と同様のことだったのである。クラという言葉の場合は、磐座であるとか、神聖なものにも使われるので、ことさら表現には慎重にならざるを得なかったのだろうと思った。

けれど、ごく一般的な地名については、柳田翁も性的なことがらを述べている。
それは『地名の研究』の中の、フト(富土、布土、富戸)という地名についての部分である。
「すなはち海岸に沿うて漕ぎ廻る船から見れば、二つの丘陵の尾崎が平行して海に突出してゐるところ、あたかも二股大根などのごとく、その二丘陵の間からは必ず小川が流れ込み……」「疑ひもなくホドすなはち陰部と同じ語である」(『地名の研究』)
「そこが上代人の悠長なところ」、つまり大らかだったのだといい、「本来ホドは秀処の義」なのだという。

柳田翁の弟子にあたる学者だったと思うが、フトは二股大根の形状そのものをいい、人体のフトモモのフトも同じ語であって「太もも」と書くのは後世の当て字だという。ホドについては忌み言葉のように考えられて、古くは別の言葉だったものが、フトモモの意味のフト(ホト)で代用された言葉だろうという。となると、古代の「大らかさ」も少し差し引いて考えなければならない。やはりこちらのほうが素直な見方だと思う。「大らか」とか「秀処の義」というのは、性的な関心で読まれては困るとの考えから、やや強調され過ぎてしまったように見える。
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『鳥の雑学事典』

『鳥の雑学事典』(日本実業出版社)という本を、千葉県我孫子市の手賀沼湖畔にある「鳥の博物館」で今年購入した。著者は、博物館近くにある山階鳥類研究所の人たちで、御結婚前だった紀宮清子様も数ページ執筆されている。
内容は鳥類の分類や生態について親しみやすく書かれている。

歴史や民俗の観点からの論述は少ないのだが、ミソサザイという小鳥の和名の語源についてのページがあった。それによると、方言の中にはミソットリとかミソヌスミとかいうのがあり、ミソは味噌と解されたようだが、室町時代の記録によれば「この鳥、溝(みぞ)に棲むこと三歳」なので、ミゾサンザイというとあり、水辺に棲む鳥の意味だろうという。サザイは、古名のサザキのことで、ササは小さいという意味ではないかという。

あるいは、サザはスズメのスズと同源のものかもしれない。古代にはサシスセソの発音は、今のチャチィチュチェチョに近かったといわれることから、スズメはチュヂュメで、チュンチュンという鳴き声からの命名だろうとは、よくいわれることである。

さて小学館のポケットガイド『野鳥282』という小型本には鳥のカラー写真が282ページにわたって掲載されている。写真は綺麗である。ただ、短い解説は読んでいてあきてしまう。柳田国男の『野鳥雑記』という名著がるが、それに現代の写真家の写真をたくさん載せてカラー版で再刊したら、魅力的な本になるだろうと思う。

集英社の全四巻の大冊『大歳時記』は、歳時記や生活文化から見た鳥についての記述も多く、和歌や俳句ももちろん載っている。
鳥についての民間信仰や俗信については、やはり鈴木棠三氏の『日本俗信辞典』(東京堂)が頼りになる。
鳥の雑学事典
鳥の博物館の西隣には、千勝神社(ちかつじんじゃ)という小さな神社があった。掲示板で情報提供していただいたので参拝してみたわけである。
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『古事記の本』(学研)

古事記の本倭建命学研の新刊「ブックス・エソテリカ」シリーズ(40) の『古事記の本』は、古事記に関連する古代史や比較神話学などについて一般的に書かれたもので、叙述内容はごく平均的なものだが、この手の本の性格からして全ての事項について見落しなく充分広くというわけにもいかない。

しかし、挿し絵が豊富で、神宮徴古館の所蔵絵画などにまじって、これまで滅多に取り上げられなかった絵画や図版が多く使用されているので、それらを見ているだけで、絵が描かれた時代のとらえ方を思ったり、感心したりしている。

昔の木版などの刷り物の絵も、従来は色がかすれていたりぼやけた画像の印刷が多かったが、最近のコンピューター処理によるものなのだろうか、この本では実に鮮明な画像として見ることができる。
下の右の画像は楡山神社所蔵の江森天寿画『日本武尊(やまとたけるのみこと)』(同書より)
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