七草なづな、唐土の鳥の

1月7日は七草粥。七種類の野菜を入れて煮たお粥を食べる日である。一年の無病息災を祈るものとされ、七つの野菜とは、歌にも歌われる。

  せり、なづな、御形、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これぞ七くさ(河海抄 1362年)

平安時代の京都では、正月最初の「子(ね)の日」に、野に遊んで若菜を摘み、それを煮て食べ、長寿を祈った。「子の日の遊び」といい、百人一首の次の歌はその光景を詠まれたものという。

  君がため春の野に出でて 若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ  光孝天皇

春の初めの若菜摘みの行事は、ところによっては旧暦の小正月を過ぎたころであるとか、時期はまちまちだが、民間行事としても古くからのものであるらしい。少女たちが集団で野に出る話は、古事記の神武天皇が高佐士野(たかさじの)で出会った七少女や、万葉集の竹取の翁の物語など、数多く伝えられ、それ自体が成人儀礼のようでもあり、神武天皇の例のように求婚する男子が現れる場合もある。
 近世の民間では、七草を煮炊きする前日に、歌をとなえながら俎板の上で包丁の背や擂粉木(すりこぎ)などで叩いた。

  七草なづな とうどの鳥の ゐなかの土地へ わたらぬさきに ストト・ト・トン

この歌は、小正月のころの鳥追いの歌と類似のものである。鳥追いとは、秋の収穫のころに飛来する渡り鳥が農作物に害を及ぼすことがあるため、その鳥を追い払う行事を年の初めに行っておくのである。田植え祭なども年の初めに山間の清流近い場所で行われることが多く、年の初めには一年の無事を祈るさまざまのことが行なわれた。
「とうどの鳥」つまり「唐土の鳥」とは、大陸から飛来する渡り鳥のことと意識されるが、意味は不明のところもある。柳田国男翁は、同じ小正月のころの行事である「とんど焼き」の「とんど」に通じるものではないかと述べたことがある。

先の歌は「七草なづな、唐土の鳥が日本の土地へ……」と歌われることもあり、『志ん朝の風流入門』では地方によって次のような文句もあると紹介される。

 千太郎たたきの太郎たたき 宵の鳥も夜中の鳥も渡らぬさきに

参考 秋の七草
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Comments

戸矢 | 2006/01/07 09:32
良いテーマですね。東京で摘むことはできませんが、せめて売っている七草セットで春の野をしのぶことにいたします。
ところで、なぜ「七」なのでしょうか。見解をお聞かせください。
森の番人 | 2006/01/08 00:42
秋の七草の歌は万葉集にありますが、春の七草の歌は本文中に註記した14世紀のものが最も古い記録らしく、秋の七草に習ったものかもしれませんし、1月7日は中国の五節供の一つの人日(じんじつ)で、天候で1年を占うものらしいのですが、7日だから7なのかもしれません。
ななくさは元は七種(ななくさ)で、七種の穀物を粥にし、小正月に食べたともいいます。小正月には小豆粥が多いのですけれど。

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