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鶏の神(ニワタリ神社)


鶏の神(ニワタリ神社) 1

corel  福島県、山形県、宮城県、栃木県、茨城県を主に、ニワタリ神社といふ名の神社が100社以上あり、ミワタリ神社とも、オをつけてオニワタリ神社ともいひ、漢字はいろいろに書かれる。
 二渡神社 荷渡神社 庭渡神社 二羽渡神社 仁和多利神社 新渡神社
 三渡神社 見渡神社 海渡神社 御渡神社 三輪足神社 美渡神社
 鬼渡神社 根渡神社 子渡神社(ネワタリ)
 ニワタリは、(にはとり)からきた名前のやうで、これらについてのいくつかの資料によって考へてみた。

  1、鳥の絵を逆さにして水をかける話

 山形県西置賜郡の白鷹町下山の庭渡神社には、「子どもが百日咳に罹患した時、鶏の絵を描いて納めると治るという信仰がある。幼児が病気に罹ると、父親が夜中、人目に触れないやうに鶏の絵馬を借りてきて、子どもが咳した折りに、絵馬の頭からざぶざぶと水を掛ける。このやうにして、病気が全快すると、お礼として新しく作った絵馬と借りた絵馬を元の神社に納める」といふ。(http://www3.ic-net.or.jp/~nisi/「『にわたり』に関する考察」から引用)
 西村山郡河北町、岩枝の荷渡神社は、「にわたり観音」ともいひ、「とりしゃびき(百日咳)のお観音」ともいふらしい。「お経をあげて、鳥の絵を2枚描いて、1枚は観音さまに、もう1枚は台所に逆さに貼って水を掛ける。鳥をがおらせれば、「とりしゃびき」が治る。」といふ。遠方からの参拝もあり、「福島の人の絵馬」には「白い蛇」が描かれてあったといふ。(前掲URLから引用)

 「とりしゃびき」とは百日咳の方言なのだらう。「びき」は「風邪ひき」の「ひき」と同じのやうで、「とり」については、幼児と鳥に関する信仰に根ざしたものではないかと思ふ。吉成直樹『俗信のコスモロジー』(白水社)によると、幼児の死を、トリツバサになった、トリツバサにする、鳥に飛ばす、鳥が飛んだ と言った地方が多い。人の霊は死後に鳥になるといふ信仰もあるが、生まれる前も鳥だったとされ、生まれてまもない幼児は、いつでも生まれる前の姿に戻りやすいと考へられたやうだ。「とりしゃびき」とは、さうした鳥に戻る危険性を幼児の体内に引き込んでしまった状態をいふのではないかと思ふ。「鳥をがおらせれば、とりしゃびきが治る」の意味は不明だが、鳥の絵に水をかけることによって、絵の変化を占ふものなのだらうと思はれる。
 では「鳥の絵を逆さに貼る」ことには、どんな意味があるのだらう。逆さに貼った鳥の絵に水をかけるのである。水は鶏を描いた絵馬にもかけられた。柳田国男のいふ、白い鳥を水の神に生け贄としてささげた風習のことを想像せざるを得ない。その風習の名残として鶏の絵に「ざぶざぶと」水をかけることが行なはれるのだらう。ただしこの生け贄の風習と、幼児の百日咳については、直ちに結びつくものではない。

  2、水の神と白い鳥の縁

 良い牛馬は水の中から現はれたといふ伝説がある。これは牛馬を水神に捧げた風習の名残だらうといひ、昔話などでは少し形を変へて、馬の足を河童が引っ張る話として各地に伝はってゐる。鳥、とくに鶏なども水神に捧げられたことがあったのだらう。
 福島県田村郡や白河郡などの、三渡神社、見渡神社では、祭神は天村雲命ないし天水分神とされ、水神への信仰が深いことがうかがはれる。
 鶏は今は白い鶏が当り前だが、もとは日本では白いものは非常に少なかったやうで、白い鶏があれば珍重され、神の鳥として特別視され、神に捧げられたのだらう。また金鉱などを探し当てるときにも鶏を連れて行って鳴かせ、その声で場所を占ったらしく、金鶏伝説のもととなったともいふ。溺死人を探すときも鶏を使ったといふ。
 柳田国男『石神問答』では、遠野在住の佐々木繁が、鶏に関する信仰として、「黄金にて作りし鶏を埋め……その鶏が時々出でて時をつくる」、「鶏を箱の中に入れて水中に沈め、これを水の神と祀りて堤塘を築きしといふ話」などを報告してゐる。
 柳田翁は、「大昔の白鶏を牲とする風習が、いつの世にか生たるままにて神に奉るやうになり、終には神山の鶏を以て直接に神の本体と崇むやうになったのではあるまいかと思ふ」と書く(柳田國男集27巻所収「白い鶏」)。
 かうした神聖なる鶏への信仰が、福島県周辺地方に多い「にわたり神社」のもとにあるやうである。
 ニワタリはやはり鶏のことで、何故「タリ」となったかについては、各地に多い「鶏足寺」などの寺号に引かれたものだらうと柳田翁はいふ。足はタリとしか読めないわけである。中国にも鶏足山といふ山があり、3つの尾根が鶏の足に似てゐるからだと説明されることがあるが、これは日本では三峰山の名になるだらう。柳田翁は鶏足寺の名の寺に、石に鶏の足跡が残された伝説があることに注目してゐる。馬蹄石と同じで、神の動物は簡単には姿を明らかにせず、ただ足跡などのそこに立って居たことを示すしるしだけを残すやうである。後述の庭渡山なども、足跡の残った岩が登り口などにあったことから由来するのではないかと思ふ。

  3、ニワタリの神の諸相

 「白い鶏」、「白い鳥」の信仰は、さまざまな形に広がってゐるやうである。
 福島県相馬郡新地町の二羽渡神社は、由緒によると、「古代天笠の国より光輝く神々しい二羽の白鳥が、この地に飛び給ふところから、この地を二羽渡の地といはれるやうになった。」(平成祭データ)といふ。この地には二羽渡山があり、かつては二羽渡権現と呼ばれた社である。福島県白河地方にも庭渡山があり、庭渡神社も多い。
 柳田翁の前掲の小論によると、宮城県苅田郡の、ある白鳥神社は、倭建命が焚き火に当たって身を暖めたことから身暖(みあたり)とも呼ばれたらしいが、これもニワタリのやうで、東北地方に多い「白鳥神社」の中にも鶏の信仰だったものが少なくないかもしれない。
 古い氏族の中には、卵から生まれたなど、鳥を先祖とする例もあるらしい。

 福島県会津地方では鬼渡神社の名が多く、もとは「御ニワタリ」の意味のやうで、祭神は阿須波神、波比伎神となってゐる。この祭神は、宮中でも祀られるが、古事記では大年神の子とあり、兄弟神に竈神や、庭や土の神などがある。万葉集の防人の歌(4350)では庭中に祀られた神であることがうかがへる。
 ○庭中(にはなか)阿須波(あすは)の神に小柴さし、吾は(いは)はむ。帰り来るまで    防人の歌
 原文はすべて一音づつの万葉仮名だが、庭中と書けば「には-あたり」と読めなくはない。ニワタリの神は、庭中の神として意識されて、江戸時代に『会津神社誌』を作った藩主の保科正之に協力した神道家の吉川惟足などの知識によって祭神となったのかもしれない。
ニワタリ神社の分布図
 確認できた分布の北限は、
  大槌稲荷神社(通称・二渡神社)岩手県上閉伊郡大槌町
  美渡神社 岩手県西磐井郡花泉町   (新渡戸稲造は岩手県出身)
 南限は
  根渡大神 千葉県香取郡小見川町
  根渡神社 千葉県八日市場市

 金鶏伝説、白い蛇の絵馬、鳥の子孫、については別稿とする。 (14/11/28)
図版は福島県におけるニワタリ神社の分布図

鶏の神(ニワタリ神社) 2


 柳田国男『山島民譚集』の「黄金の鶏」の章に、ニワタリの神について論述があるのを見落としてゐたので、それを参考にまとめてみた。

  (1)鶏石
 全国各地に鶏石(とりいし)、鶏塚(とりづか)なるものがあり、普通には人の入らぬ山奥や山頂付近にあるらしい。鶏石は、近江・山城国境の逢坂山にもあるといふ。清少納言の有名な歌がある(百人一首)。

  ○夜をこめて鶏のそら音ははかるとも、世に逢坂の関は許さじ  清少納言

 歌の意味は、「史記では孟嘗君が真夜中に鶏の鳴き声を真似させて函谷関を開けさせたといひますが、たとへそんなことをしても、男女が逢ふといふ逢坂の関は、お通しすることはできません」(『歌語り日本史』)となり、忍び入った男の誘ひを断るときの機知の歌である。この「逢坂のせき」は男女が逢ふといふ単なる譬喩と思ってゐたが、「逢坂の石」を念頭に置いたものかもしれず、まさに知識のかたまりのやうな歌なのである。
 鶏石は、表面に鶏の足跡の窪みが認められるものが多いらしいが、逢坂山のものは、石の中から鶏の声が聞えることがあるといひ、同様のものも多いらしい。鶏の声が聞えるときは、世が乱れる前兆であるとか、村に不吉な事がおこるなどといふ。トリとだけ言へば鶏のことで、山鳥とは山の鶏のことだと柳田国男はいふが、次の歌などは不安に恐れおののく歌だといふことになる。

  ○足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し世をひとりかも寝む

 福島県白河付近では、庭渡山など山頂に祀られることが多いとあるが、むろん里中にも祀られる。単純に考へれば、不吉を予言する神であったので、村の守り神となったのだらうか。

  (2)鶏の声
 山形県で、小児の百日咳のおまじなひに鶏の絵を逆さに貼る話については前稿で述べたが、山梨県中巨摩郡在家塚村(現白根町)でも戸口に鶏の絵を逆さに貼るといふ。こちらでは水をかけるとは書かれてゐない。秋田県の昔の例では、雨乞の祭で鶏が生け贄とされ、鶏が殺される前に少しでも鳴けば祭は中止になったといふ。「鶏が鳴けば神は帰らねばならない」とはよく言はれることで、吉い神も悪い神も同様なのだらう。大阪の道明寺天満宮の菅原道真( 「歌語り風土記」 参照)や、島根県の美保神社の事代主命も、鶏の声を聞いて帰ったといふ話がある。

  ○鳴けばこそ別れも憂けれ。鶏の音の聞えぬ里の暁もがな   伝菅原道真

 神は夜間に現はれるものであり、暁の鶏の声を聞いて帰るのだともいへる。鶏は、逆さにすれば嫌がって鳴くだらう。山梨県のやうに鶏の絵を逆さにして戸口に貼れば、その鶏の鳴き声を聞いて、邪神は戸口まで来て退散するとされたのかもしれない。
 埼玉県大里郡では、幼児の百日咳のために、石の祠や産土神に柄杓を納める例がいくつかあるが、石神とヒシャクで音が通じるためなのか、ヒシャクは水をかけるものだからなのか、どちらなのだらう。

  (3)
 阿須波神との関連については、吉田東伍『地名辞書』の「陸前、金成」の項で既に指摘されてゐる。万葉歌の「小柴さし」は道祖に旅行の安全を祈るもので、この神は道祖神で、庭渡は庭辺(にはあたり)が語義だらうといふ。阿須波神は兄弟神の庭津日神と同一と万葉歌ではみたのだらうと。しかし、前稿で述べたのは、会津地方で阿須波神が鬼渡神社の祭神となったいきさつについてのことであり、道祖神の性格はニワタリの神にはあまり見られない。ニワタリの語義はやはり鶏なのだらう。

 神奈川県足柄上郡上中村(現大井町)篠窪に根渡神(三島社に合祀)があり、「工匠の神で思兼命を祭ったものだといふ説もある(新編相模国風土記稿)」といふ。
(h14/12/3)