時を作る鶏

このブログを初めて1年。前半の半年はかなり書いたが、後半は停滞した。停滞時期における思索の中心は、現代の社会についてなかなか結論の出ない難問ばかりについてだった。

さて今日書店で見た本は『日本古代史大事典』(大和書房)、CDROM付きで28000円という良い値段。それは諦めて同じ出版社の『古代日本人の信仰と祭祀』(1997年初版)という論文集を購入。谷川健一「鶏型土器について」という見出しにひかれたからである。
これは古墳時代の初期から終末期までに見られる副葬品の鶏の埴輪について考察されたものだが、このブログで書いてきたこととかなり重複した部分があることが嬉しい。

「数年まえ、愛知県の女子大生が殺されて木曽川に投げこまれるというむごたらしい事件が起った。そのときたくさんの捜索隊が出たが、遺体がなかなか揚らないので、桑名付近の住民が小舟にチャボをのせて探している光景がテレビで映し出されるのを見た。あいにくチャボが鳴かなかったので、遺体を突きとめることができなかった、ということであるが、こうした呪法が現在まで慣習として残っていることに驚きを禁じ得なかった。」(同書)
鶏を使って死体のある場所を探したり、また埋葬場所を決定したりする呪法のことであるが、これに関連することは「鶏の神(ニワタリ神社)」というページにも不十分ながら書いたことがある。不十分な文章だが、中心の発想は間違いないと思う。

暁の鶏の鳴き声を以って終了する各地の祭礼も紹介されていた。「鶏が鳴いたら神は帰らねばならない」とは「こぶとりじいさん」のところでも書いた。
記紀の天岩戸の話では、常世の長鳴鶏を鳴かせて、長い闇夜が終わり、岩戸が開く。
「鶏には他の鳥に見られないトキを作る習性がある」と書かれる。それは朝(あした)を招く鶏ということだが、天岩戸の話のように貴い魂の復活・再生のことでもある。「時を作る」という観念はさらにさまざまな現象をともなって人の生活の中で発見することができそうな気もする。
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Comments

seidai | 2006/07/30 12:28
こんにちは。
以前読んだ、吉野祐子「十二支−易・五行と日本の民族」 の中で、P228「酉 其三 水死人を浮上させる鶏」という内容があったことを思い出しました。
蝸牛歩(管理人) | 2006/07/31 13:05
全国的な民俗だったようですね。
鈴木棠三『日本俗信辞典』に多数の例がありますが、鶏の方位を知らせる能力も顕著のようで、場所を知らせるだけでなく「浮上させる」というふうにも発展したのかもしれません。
ニワタリのページに書いた「鳥の絵を逆さに貼って水をかける」というのも全国的な民俗だったようです。
yuki104 | 2006/10/08 10:37
こんにちは〜
鶏の埴輪を検索していたら、こちらへたどり着きました。
すごく造詣が深くてお出でですね〜
また、お邪魔させてくださいね。゜・。☆(^ー^ *)♪
蝸牛歩(管理人) | 2006/10/10 22:48
鶏の埴輪とは、興味のつきないものがあります。
わが家の台所などで使用中のタイマーはニワトリの形をしていますが、写真をアップしても良かったと思いました。鳩時計なども鳥と時をむすびつける人間の思考から生まれたものなのかもしれません

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