日本の海底に沈んだ島と伝説
1年前に「消えた湖の伝説」というタイトルで、この盆地は太古には大きな湖だったという伝説が日本には多いことを書いた。
島が海底に沈んだというは伝説はあまり多くはないかもしれない。
三重県の志摩半島と愛知県の渥美半島の間の海に、太古には大きな島があったという伝説がある。志摩国といい、「御食(みけ)つ国、志摩」というくらい良い漁場だったらしいが、水没してしまったことを惜しんで、伊勢国の東の先を分割して新たに志摩国を設置し直したのだという伝説資料のことが『大日本地名辞書』にある。
シマという国名から後世に付会されたのかもしれないが真偽は不明。中国の神仙思想では東方の海上には不老長寿の仙人が住む蓬莱島があるというが、日本でも古くから同じような伝説があって大和国から東方の島の伝説があったのかもしれない。
西方では、長崎県の五島列島の更に西に「みみらくの島」という島があったともいう。『蜻蛉日記』の作者が、老母の死に際しての話で語っていることから、死後の世界、西方浄土という考えからきたのかもしれない。
しかし地元に高麗島という島が沈んだという伝説があり、柳田国男も調査している。(長崎県五島の暮し)
大分県の別府湾には、瓜生島という小さな島があったが、大昔に沈没してしまったために、さまざまな伝説が語られた。しかし最近の調査では慶長元年(1596年)の地震で、瓜生島ほかいくつかの島が実際に沈没したらしい。天武7年の筑紫国の大地震では筑紫地方でも大きな島の沈没があったともいう。(「幻の古地図」と古代の天変地異の話)
島根県益田市の沖にあった鴨島も万寿3年(1026)の大地震で水没したらしく、梅原猛氏の『水底の歌』によるとこの鴨島が柿本人麻呂の終焉地だという。
(その他にもあればコメント歓迎です)
島が海底に沈んだというは伝説はあまり多くはないかもしれない。
三重県の志摩半島と愛知県の渥美半島の間の海に、太古には大きな島があったという伝説がある。志摩国といい、「御食(みけ)つ国、志摩」というくらい良い漁場だったらしいが、水没してしまったことを惜しんで、伊勢国の東の先を分割して新たに志摩国を設置し直したのだという伝説資料のことが『大日本地名辞書』にある。
シマという国名から後世に付会されたのかもしれないが真偽は不明。中国の神仙思想では東方の海上には不老長寿の仙人が住む蓬莱島があるというが、日本でも古くから同じような伝説があって大和国から東方の島の伝説があったのかもしれない。
西方では、長崎県の五島列島の更に西に「みみらくの島」という島があったともいう。『蜻蛉日記』の作者が、老母の死に際しての話で語っていることから、死後の世界、西方浄土という考えからきたのかもしれない。
しかし地元に高麗島という島が沈んだという伝説があり、柳田国男も調査している。(長崎県五島の暮し)
大分県の別府湾には、瓜生島という小さな島があったが、大昔に沈没してしまったために、さまざまな伝説が語られた。しかし最近の調査では慶長元年(1596年)の地震で、瓜生島ほかいくつかの島が実際に沈没したらしい。天武7年の筑紫国の大地震では筑紫地方でも大きな島の沈没があったともいう。(「幻の古地図」と古代の天変地異の話)
島根県益田市の沖にあった鴨島も万寿3年(1026)の大地震で水没したらしく、梅原猛氏の『水底の歌』によるとこの鴨島が柿本人麻呂の終焉地だという。
(その他にもあればコメント歓迎です)
Comments
島が沈むというのは、ちょっと想像が難しい事ですが、沢山の島が沈んでいたことに、驚きです。
香川県の地図を見ますと、磯菜天満宮の西の沖に大蔦島があり、さらに沖にあった小島が水没したために、磯菜島で再建されたようですね、その磯菜島は今は陸続きに見えます。
平成祭データでは、賀茂神社の「摂社」のような記載の「天満神社」のことかもしれませんが未確認です。
いづれにせよ地震などの災害には気をつけたいものです。
西洋ではアトランティスの伝説があるようですが日本ではどうでしょう。日本では島そのものが神でもありますから、想像しにくいと思います。
瓜生島にそのような話が付いているようですが、時代の新しいストーリーなら探せばあると思います。
Googleで「神の怒りに触れて 沈んだ島」とスペースを1つ入れて検索したり、「沈んだ」を「沈没した」その他に変えて検索するのはいかがでしょう
本当にありがとうございました。
山形県庄内沖に、小島の陥落伝説があると聞いております。
中国、海南島でも、村が消えたという説話があると聞いております。
「更に聞く、桑田変じて海と・・・」 唐代 「白頭吟」
楡の薬効;https://www.gardenmedicinals.com/store/catalog/product_info.php?products_id=275