嘆きの森

国分市

 オノゴロ島に降りた伊邪那岐・伊邪那美の二神は、天の御柱を見立ててめぐりあひ、国生みをされた。最初に生まれたのが蛭子(ひるこ)である。蛭子は、三才になるまで足が立たなかったといひ、天磐樟船(あめのいはくすぶね)に乗せて流され、姶良郡隼人町(旧西国分村)の岸に流れ着いたといふ。やがて船の楠材から枝葉が延びて、楠の巨木に成長した。この地に蛭子神社がまつられ、その森を「嘆きの森」といふ。

 ○ねぎ事をさのみ聞きけむ。社こそ、はては嘆きの杜となるらめ  讃岐

 ○生ひ立たで枯れぬと聞きし木の本のいかでなげきの杜となるらん 元輔

 国分市上小川(旧東国分村)に「気色(けしき)の森」があり、ここにも蛭子神がまつられる。

 ○秋のくる気色の森の下風にたちそふものは、あはれなりけり   待賢門院堀川

 国分駅北の姫城は、古代の隼人反乱の時の女王(女酋)の遺跡といひ、「風の森」がある

 ○恨みじな、風の森なるさくら花、さこそ仇なる色に咲くらめ   夫木抄