トラ

虎虎は日本には生息しなかったが、絵画にはよく描かれた。虎の実物を見たわけではないので、有名な画家の絵といえども、どこか奇妙な虎に描かれている。まして素人が描いた虎の絵はどこから見ても猫にしか見えず、そういうときは竹の絵を書き加えればそれらしく見えると、江戸の川柳が教えている。

  猫でない証拠に竹を書いておき

毘沙門天をまつる京都の鞍馬寺には、狛犬の代りに一対の虎の石像がある。虎との関係については、山を開いた鑑禎という僧が初めて毘沙門天を拝したのが、寅の月・寅の日・寅の刻だからだという。(類似の話は十二支の多くの動物の話に語られる)
鞍馬山で育った源義経は当時遮那王(しゃなおう)と呼ばれたが、牛若丸の別名もあり、この「牛」のいわれはよくわからない。

  遮那王が背くらべ石を山に見て、わがこころなほ明日を待つかな  与謝野寛

トラは、女性の名前にも多かった。曾我兄弟の仇討で知られる曾我十郎の妻の虎御前がよく知られる。トラはある種の巫女に多かった名だという。諸国を歩いたトラという名の巫女によって語り伝えられたものが曽我物語だということだろう。虎御前をまつる神社は、出身地の神奈川県や仇討の舞台となった静岡県の富士山麓にいくつかあるが、新潟県上越市今泉の大和神社の配祀神の一柱にも、虎御前の名が見える。


白虎は、中国の五行説では四方を守る四神の一つで、西を守る。幕末の会津藩では世代別に四つの隊を編成したという。
東 青龍隊(せいりゅうたい、36〜49歳)、
南 朱雀隊(すざくたい、18〜35歳)、
西 白虎隊(びゃっこたい、16〜17歳)
北 玄武隊(げんぶたい、50歳以上)、
精鋭部隊といえるのは若い朱雀隊で、南を守ることが重視されたということだろうか。
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