ウシの御前

牛食事の後にすぐ横になってごろごろすると、牛になると言われた。牛というのは、鼻に金輪を通され、重い荷車を引かされ田の代掻きをさせられたりの重労働を強いられる動物であり、牛になると言われた子どもたちは、本当に恐怖を感じていた時代があった。

牛に関する地名では、岡山県の牛窓が歌枕としても知られる。大陸渡来の人たちが牛を生贄に捧げた名残りだろうと言う。

牛を神の使いとするのは天神様である。菅原道真が生まれたのが丑年であり、遺言でなきがらを牛に引かせて運ばせたなどのエピソードがある。(参考 岩津天満宮・「天神さまと牛」
一部に天神=雷神への生贄だったという説もあるが、牛の生贄は大陸系の話なので信じがたいと思う。

むかし大江山の酒呑童子を退治した源頼光という武将に、一人の弟があったという。母が夢に北野天神が宿った夢を見て、三年三月後に生まれたのがその子で、丑年の丑の日の丑の刻に生まれたので牛御前と呼ばれた。牛御前は、生まれた時から二つの牙を持ち、鬼神のような風貌のため、父に憎まれて東国に追放された。都の軍と戦ったときは、水に入って大きな牛に化け、敵の軍勢を溺死させた。その後も長雨を降らせて民衆を困らせたという。
牛御前は隅田川に現れて牛御前社(のちの牛嶋神社)にまつられたというが、今の牛嶋神社は須佐之男命をまつっている。須佐之男命は牛頭天王とも習合されて信仰される。葛飾北斎に須佐之男命厄神退治之図あり。

 牛の御前、言問橋もうつりけり。移りがたしも。わが旧ごころ    釈迢空

九州に多い保食神社(うけもちじんじゃ)では牛が祀られることもある。保食神(うけもちのかみ)は食物の神でもあるが、牛が古くから食用にされたということではないだろう。日本書紀に、保食神の亡骸から穀物のほかに蚕や牛馬が生まれたとあり、養蚕や牛馬の守護神でもあるからである。
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