古代の自殺

昨秋、山田の案山子とクエビコの記事のとき参照した、『谷蟆考 −古代人の自然−』(中西進著)という本は、その副題「古代人の自然」の通りの興味深い内容である。
その中で「古代人の自殺」という一節について。

古代の男性たちの自殺は政治的なものが多いが、女性たちの場合は、ひそやかで一途で、つまりは人間的といえるものだと述べられている。
万葉集で知られる、二人の男の求愛に悩んで大和の耳無池に身を投げた鬘児、生田川の菟原少女、葛飾の真間の手児奈。大和物語の奈良・猿沢池の采女など。
それより古い時代の古事記の話では、たとえば垂仁天皇の時代に、夫である天皇よりも兄を選んだ佐保姫や、姉妹の中で醜女であったために郷里へ帰されたことを恥じて自殺したマトノヒメの時代は、より激しい情念のようなものも感じられる。

ところで、伝説物語に登場する女性たちはみな神に関わった女性たちであるという折口信夫の言葉に従えば、「人間的」であるとともに「宗教的」でもあるのだろう。

同書でも紹介される雄略天皇の皇女、栲幡皇女は、男との不義の疑いをかけられ、身の潔白を証明するために自殺した。皇女は斎宮でもあった。
壬申の乱で敗れて自殺した大友皇子の妃、十市皇女は、勝利した側の英雄、高市皇子に乱後に求愛されていたといわれる。皇女の突然の死は、それが原因の自殺ではないかと思われる。大友皇子が天皇に即位していたとすれば皇女は皇后であり、前皇后への求愛はありうべかざるものなのだろうが、相手方は即位についての認識が異なるのかもしれない。

一般の男性が求愛してはならない女性たちが、伝説物語の主人公になっていったのだろうと思われる。
あえてそれを犯す男は、在原業平のように流浪しなければならないし、光源氏も似たところがあるのだろう。
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