猿沢の池

奈良 興福寺

 平城天皇は、平安遷都をした桓武天皇の皇子で、退位後は古都の奈良に移られた。

 ○ふるさととなりにし奈良の都にも、色は変らず花は咲きけり    平城帝

 むかし平城の帝に仕へた采女(うねめ)が、帝の寵愛の乏しいことを嘆いて、奈良の猿沢の池に身を投げたといふ。これを聞いた帝は、池の畔を訪れて采女を偲び、采女の慰みに、同行の人々に歌を詠ませた。そのとき人麻呂が詠んだといふ歌。

 ○吾妹子(わぎもこ)のねくれた髪を、猿沢の池の玉藻と見るぞ、かなしき    柿本人麻呂

 それに応へて帝が詠まれた歌。

 ○猿沢の池藻つらしな。吾妹子が玉藻かづかば水ぞ()なまし     平城帝

 帝はここに采女の墓を作らせたといふ。(大和物語)

 平安時代に柿本人麻呂が登場する話になってゐるが、万葉集二十巻が平城帝の御代に最終的に完成されたことを暗示するものとの解釈もある。