忠臣蔵雑談

 忠臣蔵についてのおしゃべりは、話し手も何故か熱がこもり、面白いものがある。
 ところで歴史学者や考証家の話では、江戸時代には、賄賂や悪代官はあまりなかったらしい。田沼意次の事件でさへ微々たるものであったといふ。しかし吉良家が石高は低くも位が高いといふのは、教授料などの収入があったのだらうし、茶道を始め専門知識を尊重して対価を支払ふ文化的な慣習は賄賂ではないのだらう。
 考証家の稲垣史生氏によると、浅野家は勅使饗応役は二度目であり、物価の高騰にもかかはらず前回並みの予算額で行はうとしたといふ。また、松の廊下の事件のあった年の元旦、各藩の江戸登城中に皆既日食があり、大混乱となったが、浅野家だけは科学的に解釈して平然と登城した。浅野家のこのような合理的な解釈は、山鹿素行の学問の影響によるものらしい。
 勅使の接待で重要なのは、贅沢といふのでなく、歌や学問なども重要と思ふが、当時の思想的な対立について調べるのも面白いかもしれない。新しい檀家制度普及初期の宗教的混乱の時代で、殉死の風も色濃かった時代など
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忠臣蔵 | 旬太郎 | 2006/12/20 22:41
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