綱引きの起源、その他

丸谷才一氏のエッセイで、今は国際的なスポーツ競技にもなっている綱引の起源にふれたものがある。柳田国男や他の学者の説を引用しながら、九州南部や南西諸島に今も伝わる藁で大きな龍神をかたどったものを大勢でかかえ上げて引きまわし、水神の恵みや豊作豊漁を祈願する祭に起源があるのだろうという。そんななかで、オスの龍とメスの龍を結合させて引きまわす地方もあることから、性的なものが豊饒のシンボルであることは多いので、それが最も古いかたちではないかと書かれる。しかし柳田国男はそこまでは言わない。柳田翁は性的な表現を避けるきらいがあると丸谷氏は述べる。

氏の別のエッセイで、おんぶや肩車の起源についての話でも、遠い昔の神事で神が現れたときの形式を伝えるものだろうという柳田翁の言葉を紹介しながら、やはり柳田翁は性的な表現までは立ち入らないのだと書かれる。その点、折口信夫はそういう表現に躊躇しないのだという。

以前、地名によくあるクラという言葉の意味を、『柳田国男集』の索引を手がかりに調べたことがあるが、説明になんとなく物足りなさを感じた。そのとき私が思ったことは、丸谷氏と同様のことだったのである。クラという言葉の場合は、磐座であるとか、神聖なものにも使われるので、ことさら表現には慎重にならざるを得なかったのだろうと思った。

けれど、ごく一般的な地名については、柳田翁も性的なことがらを述べている。
それは『地名の研究』の中の、フト(富土、布土、富戸)という地名についての部分である。
「すなはち海岸に沿うて漕ぎ廻る船から見れば、二つの丘陵の尾崎が平行して海に突出してゐるところ、あたかも二股大根などのごとく、その二丘陵の間からは必ず小川が流れ込み……」「疑ひもなくホドすなはち陰部と同じ語である」(『地名の研究』)
「そこが上代人の悠長なところ」、つまり大らかだったのだといい、「本来ホドは秀処の義」なのだという。

柳田翁の弟子にあたる学者だったと思うが、フトは二股大根の形状そのものをいい、人体のフトモモのフトも同じ語であって「太もも」と書くのは後世の当て字だという。ホドについては忌み言葉のように考えられて、古くは別の言葉だったものが、フトモモの意味のフト(ホト)で代用された言葉だろうという。となると、古代の「大らかさ」も少し差し引いて考えなければならない。やはりこちらのほうが素直な見方だと思う。「大らか」とか「秀処の義」というのは、性的な関心で読まれては困るとの考えから、やや強調され過ぎてしまったように見える。
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