わが歴史的仮名遣ひ

詩人の入沢康夫は、、
高校3年から大学時代に、歴史的仮名遣ひで詩を書いて投稿などもしたが、1955年に処女歌集を出版したときは現代仮名遣ひになってゐることに、だいぶ年月が過ぎてから気づいた。そこで、その経緯をふりかへってみるために書かれたエッセイがある。
歴史的仮名遣ひにしなかった理由は、どうやら小規模だった出版社の意見に配慮したためらしい。印刷は町の小さな印刷屋さんに頼むこともあり、誤植が多くなることへの危惧があった。その後は、宮沢賢治全集の編纂や校訂に関はったことがきっかけで、歴史的仮名遣ひに戻したとのこと。

それで思ひ出したのは、自分のことなのだが、2002年ごろにホームページを始めたときは、歴史的仮名遣ひだったのだが、2005年に始めたブログは、現代仮名遣ひにしてしまった。その理由を思ひ出してみた。
あれは確か、グーグル等からの検索のときに、歴史的仮名遣ひは不利なのではないかと思ったからだった。たとへばキーワード「思ひ出」では検索されず、「思い出」としたほうが良いのではないか。当時はさう思った。
その後はたまに歴史的仮名遣ひでも書くけれど、両方切り替へ方式では、かなを間違ふことも多くならざるをえない。

言葉は思考の道具であるといふが、思考するときに自分の頭の中に飛び交ふ言葉は、どんな仮名遣ひなのであらうか。
頭の中で、認識や判断をした瞬間があったことはわかるものだが、語形をもったものが飛び交ふのではない気がする。飛び交ふのは言葉ではなく概念といったものである。文字で表出してから、読み返したときに初めて仮名遣ひを意識するのではないかと思ふ。

思ひ出したことはもう一つあって、昔ある町の印刷屋さんが、小さな出版も兼ねてゐて、ある人の句集を作るといふときに、歴史的仮名遣ひのチェックをしてくれ、謝礼は著者が払ふ、といふ話があった。100パーセント完璧といふわけには行きません、と言ったら、それで構はないといふので、引き受たことがある。といふことは、その当時、私が歴史的仮名遣ひで書いてゐたことを、印刷屋さんは知ってゐたといふことになる。あれはいつごろだったかといふと、1980年代だらう。
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