教育勅語に文法間違あれば

柳田国男は、教育勅語には公衆道徳についての視点が欠けているなどと、地方の講演でよくしゃべっていたら、官憲ににらまれたものだと語っている(柳田国男対談集)。
なるほど……。むろん日本人に元々欠けているのではなく、あの文章に欠けているという意味であろう。
小さな村で、互いを尊重し、助け合い、故郷を愛し、その山や川を守るのは、生活の常識であって、外から教えられなくても、昔から受け継いできたことだった。

教育勅語にも「博愛衆ニ及ボシ」という文句があり、良い言葉だと思う。「博愛衆に及ぼし」なので、主語は別にあり、「衆」はここでは博愛を及ぼす対象である。すると主語は、衆の中の人でもあるだろうが、それより少し高いところにいる人を示しているようであり、特に社会の指導者層が肝に命じなければならない言葉なのだというべきであろう。儒教では「仁」に当たるだろうか、どのような行為が、この博愛に相当するのかを、詳細に極めてゆくのも良いだろう。

さて、よく言われる「教育勅語」の一部の文法間違いの話。、

教育勅語には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という一文があり、「緩急あれば」の「あれば」は文語では已然形の順接の助辞なので、仮定の意味ならば未然形の「緩急あらば」とするのが正しいようである。
万葉集で似たような形の文脈のものを探すと、次の歌があった。

  事しあらば小泊瀬山の石城にも、隠らば共に。な思ひ。わが夫(巻16 3806)

 小泊瀬山の石城とは、葬地のことである。もし何か事があれば、死ぬなら一緒だという。だから思い悩むことはないと、夫ないし恋人に応えた女の歌だろう。
 「あらば」は「未然形+ば」であり、この歌の「事」は未だ起こっていない。未だ存在しないので、未然形になるのだろう。
 一方、「已然形+ば」には、次のような歌もある。

  家にあれば、笥に盛る飯を、草枕旅にしあれば、椎の葉に盛る(有間皇子 巻二 142)

この「家にあれば」は一見、条件句のように見える。しかし、飯を家では笥に盛ることは常に確定している。已(すで)に決まっていることで、已に毎日そうしてきた。これから起こるかもしれない新しい事件ではない。そういうときに、已然形になるのだろう。
「家に」以下と「旅に」以下との2つが、対句に揃えられたときに、それぞれで倒置表現が加わっているのかもしれない。

このへんのところは、曖昧にしている辞書もいくつか目についたが、明快な解説を求めるなら、丸谷才一の本を読むのがよいだろう。
エッセイ集『低空飛行』によると、教育勅語の発表直後に、大言海の著者・大槻文彦教授が文部省に出向いて「アレバは印刷上の間違ひだから早速アラバに直すように」と申し立てたが取り上げられなかったという噂があったという。「印刷上の」というのは、相手のメンツに配慮した表現なのだろう。
文を起草した漢学者の井上毅は、間違いを恥ぢて漢学者であることをやめ、その後は国文のほうに転向して国文学者として良い仕事をなしたという美談があるという。起草を依頼されたほどの学者が、国文に転じて一から学び直したということらしい。江戸時代から漢学者の訓読文には国文法に不十分なものがあり、その延長上のことだろうという。
芭蕉や井原西鶴なども、そのへんはルーズというかラフであったらしく、間違いはよくあることであって、恥じる必要はないという。作家や一般人はそれで良いのだろうと思う。政治官僚がどうするかは私は知らない。

余談になるが、江戸時代までの漢学者は、国文を一段低いものとして軽視していたから、そうなるのだという意見も読んだことがある。私が思うのは、漢字には実際には無数といっていいほどの異体字がある。それらについて「ヽ」が一つでも二つでも変らない同じ字として読んでいくので、微細なことにはこだわらないのだろう(本字と異体字の区別は除いて)。書では、一画一点の間違いは間違いではないと、ある年配者が言っていた。それでカナの一字程度にはこだわらないのではなかろうか。

ところで、アレバという同じ語形なのに、文語と現代語ではなぜこれほど大きな意味の違いになってしまったのだろうか。アラバがなぜアレバになってしまったのだろうか。高校時代の古文の授業や試験で、これに悩まされた人は多いのではなかろうか。
そのへんのことについて、続きを書ければと思っている。
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