昭和天皇の仮名遣ひ

先年(平成27年(2015))、『昭和天皇実録』が公開刊行され話題になったが、中央公論社の新書判で『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利ほか著)を昨年読んだ。
終戦の御決断における貞明皇太后の存在。また、戦時中に天皇へ虚偽の報告ばかりしてゐた一部の大臣について、やはり天皇の御評価は戦後に至っても低いものであったことなど、あらためて再認識できた。

『「昭和天皇実録」の謎を解く』の中に、明治四十三年、昭和天皇が九歳のときの手紙が引用されてゐる。歴史的仮名遣ひで書かれた手紙の主要部分を、次に写し書きしてみる。アンダーラインは筆者によるもの。

「まだやっぱりおさむうございますが、おもうさま、おたたさまごきげんよう居らっしゃいますか、迪宮(みちのみや)も、あつ宮も、てる宮も、みんなじょうぶでございますからごあんしんあそばせ
私は毎日学校がございますから七じ四十五分ごろからあるいてかよひます
四じかんのおけいこをしまつてみうちにかへります。そしておひるをしまつてたいてい山や、村や、松林などにでておもしろく遊びます
またときどきせこに行ってにはとりなどを見て、これにゑをやることも有ります
またはまにでてかひをさがすことも有ります、しかし、かひはこちらにはあんまり有りません、葉山にはたくさんございますか
きのふはおつかひでお手がみのおどうぐやおまなをいただきましてありがたうございます。
おもうさま
おたたさま
  ごきげんよう
 二月四日 (以下略)」
(明治四十三年)

「やつぱり」でなく「やっぱり」などといふ表記は、原文通りではない可能性もあるが、「じょうぶ」「どうぐ」といふ字音の仮名表記は、そのままなのではなからうかと思ふ。
辞書を引くと、丈夫は「じやうぶ」、道具は「だうぐ」といふ仮名表記が見られる。
我が家には明治末から昭和前期(20世紀前半)に曾祖父などが書いたものが沢山保存してあるが、字音は「じょうぶ」「どうぐ」といった類の表記で、例外なく徹底してゐる。
曾祖父の場合は、「…のやうな」ではなく「…のような」などの表記であり、字音については徹底してゐる。
このような表記は当時一般に多く行なはれてゐて、昭和天皇も同様であったのだらうと思ふのである。中学生以上になれば、丈夫、道具などと漢字表記が普通とならう。

字音の仮名表記は、発音に近い表記で、といふことについては、昔から多くの支持があったわけで、一方における伝統といってもよい。
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