大野晋『日本語の起源』

高校時代(1971)の夏、父の書棚にあった 大野晋『日本語の起源』(岩波新書)
を手に取って読み始めてみたら、そのまま一気に読み終へてしまった。
一般向けの「大人の本」を数時間で読了したのは初体験だったので、すがすがしい読後感が残ることになった。本は1957年発行の旧版。

本の内容は、言葉(単語)の語形や発音が、時代によって変化してゆくこと、地方には方言といふ形で変化した語形があること、それらの変化には法則性があること、などが書かれてゐた。
大野氏の本を次に読むのは1974年の『日本語をさかのぼる』であり、高校から大学にかけてのこの3年間は、長く感じられた時代だった。

「その人が青年期に負った心の傷、あるいは青年期に自分自身に課した課題というものがある。その傷を癒し、その課題を解く、その仕事を一生かかっていろんな形で具体化しようとする。そこに学問が形をなしてくる。」(大野晋)

これは『語学と文学の間 』(岩波現代文庫 2006)の中の一節だと思ふ。氏は少年時代に万葉集と出会ひ、万葉の古い言葉を理解するために、国語学の道へ進んだとのことである。青年期の「心の傷」とはどんなものだったか。大野氏には、国語学者としては異例(?)にも見えるいくつかの発言などがあり、そのへんに鍵があるような気がする。どんなものかといふと、

1、狭山事件における脅迫状の文章鑑定。高学歴の者の作文であることを論証した。

2、埼玉県稲荷山古墳から出土の鉄剣の文字の解釈。ワカタケル大王は雄略帝ではなく欽明帝だといふ。これについては埼玉県史通史編では雄略帝としながらもその根拠の薄弱であることが見てとれる。

3、本居宣長の再婚をめぐるいきさつについての説。丸谷才一が『恋と女の日本文学』でも紹介した。日本文学についての深い理解がなければとうてい見抜けないものだろう。

4、タミル語をめぐる古代文化研究

ところで、大野氏の日本語タミル語起源説について、当時(1981-81)の批判側の雑誌2冊(季刊邪馬台国10号11号)を読んでみた。あまりレベルが高そうな雑誌ではなかったが、読んだ印象としては、西洋の比較言語学とは、19世紀自然主義の流れの中で成立したものなのだらうといふことだった。
この同じ流れの中には、まづ、生物学のダーウィニズムがある。日本文学では、あの私小説的世界(丸谷才一が嫌ふあれである)。最近気づいたのは、日本の歴史のいはゆる江戸時代暗黒時代説も、これらと同時代的な価値観によるものだらう。
……と書いただけでは説明不十分なのだが、続きは、後日、書いてみよう。他にも説明を簡略しすぎた部分がある。

(補足)丸谷才一の名前が2度出たが、氏のものを最初に読んだのは、大野氏と共著の『日本語相談』(1989)だった。
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