武蔵嶺

武甲山

 ○武蔵嶺(むさしね)の根岸の里は晴れかたみ、風吹き荒らす雲の下影 

 「秩父の美しさはその影の中にこそある。この盆地に生活する人々は常に影を見て暮らしている」(清水武甲)といふ。武蔵嶺とは武甲山のこととされる。武甲山は、日本武(やまとたける)尊が鎧冑を納めて戦捷を祈った山といはれ、雨乞歌も歌はれる。

 ○武甲の神の大前に、雨だんべえー、竜王なぁ、

   長の日照りのそのために、五穀の種もつきるゆゑ、

    武甲山の神々へ、氏子が集り御願ひ、テケテッドコドン、テケテッドコドン

 日本武尊は、秩父盆地西部の小鹿野から西方の両神山(八日見山)を八日間見たといふ。それで八日見山と名づけられたといふが、これは「八おかみ」の意味で、おかみとは竜神のこと、つまり八大竜王(雨乞の神)をまつった山なのだともいふ。

 ○筑波嶺とはるかへだてて八日見し妻恋ひかぬる小鹿野の原  安積艮斎

 元明天皇の御代に、蓑山の南(秩父市黒谷)から銅が発見され、和銅と改元された。そのとき天皇から賜った銅製の巨大な百足二匹が、聖神社の御神体になってゐるといふ。

 明治の秩父事件を歌った歌。

 ○楓の葉いろづきそめぬ。秩父山、自由守りし血潮讃へむ  松本仁