庁ノ鼻、狭山

深谷市国済寺、熊谷市三ヶ尻(みかじり)

 文明十八年、尭恵法師が、十二月半ばのある朝、庁ノ鼻(ちょうのはな)といふところで歌を詠んだ(北国紀行)。庁ノ鼻とは深谷上杉氏が最初に館を構へた庁鼻祖(こばなわ)(深谷市国済寺)のことである。

 ○朝日欠け、空は曇りて、冬草の霜に霞める武蔵野の原  尭恵

 本来の武蔵野は入間郡の周辺の丘陵地帯をいふのだが、霞の中に広がる枯尾花などの冬草のイメージが武蔵野といふ歌枕にふさはしかったのだらう。。庁鼻祖には国済寺があり、ここで一泊した朝の歌と思はれる。尭恵はそのまま馬を走らせ、箕田といふところを経て、狭山(さやま)(熊谷市三ヶ尻(みかじり)の観音山)のふもとの池を見て歌を詠んだ。

 ○氷りゐし水際の枯野ふみ分けて行くは、狭山の池の朝風  尭恵

 狭山の名は隣接する川本町瀬山(せやま)に残り、瀬山の人は観音山は瀬山のものだったと今でもいふ。