松山城

吉見町、東松山市

 天文六年、川越城主・上杉朝定は、北条氏綱に敗れて川越城から没落し、一族の扇谷上杉氏を頼って松山城へ逃れた。更に松山城に押し寄せる北条軍に対し、難波田弾正は城を出て戦を挑んだが、すぐに逃げ帰って来たので、山中主膳がからかって歌を詠んだ(拾遺集の翻案)。

 ○悪しからじ、良かれとてこそ戦はぬ。なに難波田が崩れ行くらん  山中主膳

 難波田弾正が応へた歌(古今集読人不知の歌と同じ)。

 ○君を置きて仇し心を我が持たば、末の松山、波も越さなん  難波田弾正

 上杉氏は川越城奪還を試みたが、天文十四年の川越夜戦に敗れて、北条氏の支配が広がって行った。