楡山神社

深谷市原郷 字八日市

 旧幡羅郡総社といはれた楡山神社の森の奥には、かつて塚があって「里人不入の地」といはれた。大正時代には既に塚はなかったやうだ。明治の初めに、森の奥の大部分が上地令によって国有林に編入され、伐採がなされたときに崩された可能性が高い。奥の森は大正初年に買ひ戻されて再び植林がなされた。

 ○いち人や、神の姿ににれ山の入らずの森は奥処(おくが)知らねど   神詠

 ○楡山の杜の朝風、高だかに神の御稜威(みいつ)を仰がせて吹く   額賀大直

 旧神領に神田数十町の記録がある。宮城県多賀城址から発掘された木簡には「武蔵国幡羅郡米五斗部領使(ことりづかひ)……」とある(吉橋孝治「古典で読むふるさと」)。旧幡羅郡は、奈良時代のころからの米の産地だったらしく、東北の官衙に物資を供給した。

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 熊野大神社(深谷市東方) 文化十四年(1817) 江戸神田須田町 藤原信清百首和歌奉納

 ○いとなみの(わざ)もかぎりの有とても あはれを添へよ 天地(あめつち)の神  信清