影姫

(海石榴市)

 むかし武烈天皇が皇太子だったころ、物部麁鹿火(あらか ひ)の娘の影姫と、海石榴市の歌垣で逢ふ約束をした。歌垣の庭で、太子は影姫の袖をとり、足踏みをして歌った。

 ○琴頭(ことがみ)に来寄る影姫。玉ならば吾が()る玉のあはび白玉       武烈天皇

 そこへ平群鮪(へぐりのしび)といふ男が現はれた。太子は、鮪と歌のやりとりをしてゐるうちに、鮪が影姫と既にただならぬ関係にあることを悟った。太子は、鮪とその父が普段から無礼な態度だったことを思ひ出し、怒りを爆発させ、大伴の兵に命じて鮪を奈良山まで追ひかけて討ち取らせた。あとを追ひかけて鮪のなきがらを見た影姫は、悲しみ泣き狂ったといふ。

 ○石上(いそのかみ) 布留(ふる)を過ぎて、薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ、物多(ものさは)大宅(おおやけ)過ぎ、春日(はるひ) 春日(かすが)を過ぎ、

  妻隠(つまごも)小佐保(をさほ)を過ぎ、玉笥(たまげ)には(いひ)さへ盛り、玉もひに水さへ盛り、

  泣きそぼち行くも、影姫あはれ   (日本書紀)

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 さて、海石榴市は、推古天皇の御代には、隋の使節をここへ迎へ、歓迎の宴とともに経済交渉も行なはれたといふ。延長四年(926)の初瀬川の大洪水以後は、市の中心は三輪に移された。三輪市には、市の守護神として恵比須神社(桜井市三輪)がまつられてゐる。