片岡山

生駒郡王寺町

 推古天皇二一年十二月、聖徳太子が片岡山を巡遊されたとき、道端に乞食(こつじき)のやうな、しかしどことなく気品をただよはせる男が臥してゐた。そこで太子は歌を詠まれた。

 ○しなてるや、片岡山に飯に飢ゑてふせる旅人、あはれ、親なし  聖徳太子

 男は返し歌を詠んだ。

 ○いかるがや、富の小川の絶えばこそ、わが大君の御名を忘れめ 

 太子は自分の衣装を脱いで与へ、食物も与へて帰ったが、男は翌日に死んだ。太子は、人を使はして男を手厚く葬らせた。ところが、葬儀のとき棺の中に男の遺体は無く、太子の衣装があるのみだったといふ。里人は、死んだ男は達磨大師の化身だとして、棺だけを葬り、達磨塚を築いて寺を建てた。寺には太子が自ら刻んだ達磨大師の像を安置したといふ。

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 法隆寺の夢殿を詣でたときの歌。

 ○(おほきみ)の御名をば聞けどまだも見ぬ夢殿までにいかで来つらん    道長 扶桑略記