惟喬親王

左京区上高野小野

 ○里遠み、小野の篠原分けてきて、我もしかこそ声も惜しまね   源氏物語夕霧

 五五代文徳天皇の第一皇子、惟喬親王は、比叡山麓の小野の地に隠棲し、小野宮とも呼ばれた。在原業平と親しくし、業平が冬の雪の日に親王を訪ねたこともある。(伊勢物語)

 ○忘れては夢かとぞ思ふ、思ひきや、雪ふみわけて君を見むとは   在原業平

 ○夢かとも何か思はむ。浮世をばそむかざりけむ程ぞくやしき    惟喬親王

 二人は河内の交野(かたの)でも狩りなどをともに楽しんだ(大阪交野を参照)。親王はのちに近江国愛知川上流の小椋庄へ移り、木地師に轆轤(ろくろ)挽きの方法を教へたといふ。京都市北区紫野雲林院町の玄武神社は、惟喬親王をまつったものである。