人康親王

山科区

 五四代仁明天皇の第四皇子の人康親王(光孝天皇の弟)は盲目であった。詩歌管絃にすぐれ、山科に住んで、世の盲人たちに琵琶や朗詠を教へ、生活の道を与へた。集まって来た人々に対し「わが道に当たる」と言はれたことから、盲人の芸能集団を「当道」と呼ぶやうになったといふ。この地を流れる川は、親王にちなんで四宮川といふ。

 山科の親王の御殿に藤原常行が庭石を献上したとき、ともに訪れた在原業平の歌。

 ○あかねども岩にぞかふる、色見えぬ心を見せむよしのなければ   在原業平

 没後、親王は天夜尊(あめのよのみこと)の名で盲人たちにまつられた。人康親王を祖とする琵琶法師は多く、蝉丸は親王に最もよくお仕へした人物なのだともいふ。