むかし秦氏の先祖の伊呂具(いろぐ)といふ人が、餅を的に矢を射ると、餅は白鳥となって飛び翔り、山の峯に留まった。そこにイネが成り生ひたので、稲荷社をまつったといふ。和銅四年二月初午(はつうま)の日のことである。 ○如月(きさらぎ)や、今日初午のしるしとて、稲荷の杉はもとつ葉もなし 夫木抄 和泉式部が伏見稲荷社にお詣りに行く途中、にはか雨に降られたので、通りかかった若い牛飼の着てゐた襖(あを)といふ上着を借りた。数日後、牛飼が式部の家を訪れて、家の者に歌を書いたものを差し出した。 ○時雨(しぐれ)する稲荷の山のもみぢ葉は、あをかりしより思ひ初めてき 牛飼 歌を見て心をうたれた式部は、牛飼を部屋に入れたといふ。