烏森稲荷

港区新橋

 天慶三年(940)、平将門の乱のとき、藤原秀郷(俵藤太)が、武蔵国のある稲荷明神に戦勝を祈願したところ、白狐が現はれて白羽の矢を授けた。この矢で秀郷は将門のこめかみを射たといふ。のち秀郷の夢に現はれた白狐が、神烏の群れるところが稲荷神の霊地だと告げたので、秀郷はその地を求めて武州桜田村の森に至り、森の上空に烏の群を見て社殿を建ててまつった。これが烏森(からすもり)稲荷(烏森神社)の起りであるといふ。

 明暦三年(1657)の大火(振袖火事)では、不思議にも烏森稲荷だけは類焼を免れた。

 ○くろやきになるべき烏森なれど、やけぬは神のいとく成りけり