塵塚お松
港区三田
宝暦(1751-64) のころ、三田の三角といふところの岡場所に、お松といふ私娼がゐた。塵塚(ごみ捨場)の近くだったので、塵塚お松、別名はきだめのお松とも呼ばれ、賎しい男たちを相手にしてゐた。ところがお松は場所に似合はぬ美貌で、そのものごしの和らかさからも育ちの良さをうかがはせ、美しい筆跡で和歌も詠んだ。ある武士が珍しがってお松のところをを訪れ、題に困って「塵塚お松」を題に歌を求めたが、お松はさらっと詠んで見せたといふ。
○塵塚の塵にまじはる松虫も、声は涼しきものと知らずや お松
お松は阿波藩の武士と結婚したともいふが、その後の消息は不明のやうだ。