梅若塚

隅田川

 昔(平安時代)、京の公卿の子に、梅若丸といふ少年がゐた。母が近江の山王権現に祈願して授かった子で、美しく利発に育ち、叡山の稚児となってゐた。梅若が十二歳のとき、人買ひにさらはれ、遠く江戸まで連れ去られてしまった。梅若は故郷の母を慕ふあまりに重い病にかかり、隅田川に捨てられて死んだ。

 ○尋ね来て問はばこたへよ都鳥、隅田河原の露と消えぬと

 わが子をたづねて旅に出た母は、気がふれてしまい、一年後に隅田川を訪れて、梅若の塚の前で、嘆き悲しんだといふ。母は尼僧となり、小堂をいとなんで梅若の霊をとむらった。

 ○くみしりてあはれと思へ、都鳥、子に捨てられし母の心を

 梅若丸は山王権現の申し子といはれたことから、塚の背後に、山王権現が祀られた。後にそこに建てられたお寺は、「梅」の字を二つに分けて木母寺といひ、向島の梅の名所となった。(謡曲・隅田川、歌語日本史)