小新田山

太田市金山(新田郡)

 太田市街の北の金山(かなやま)は、古くは新田山、小新田山(をにひたやま)といはれた。

 ○新田山。()には着かなな、()に寄そり、(はし)なる子らしあやに(かな)しも 万葉集

 ○白遠(しらとほ)ふ小新田山の()る山の、末枯れせなな。常葉(ときは)にもがも     万葉集

 元弘三年(1333)、新田義貞は生品(いくしな)神社(新田町)の前で挙兵し、鎌倉へ進軍して幕府崩壊に導いた。金山城は文明年間に新田一族の岩松氏の築城といひ、城趾には明治初期に新田義貞をまつる新田神社が創建された。新田町の生品神社は、大己貴(おほなむち)命を主祭神とするが、平将門をもまつってあるとの伝説もあるやうだ。

 新田郡細谷村で生まれた高山彦九郎は、寛政の三奇人の一人として知られたが、明治維新の先駆としての評価を受け、明治十二年に太田市の高山神社(旧県社)にまつられた。

 ○われをわれとしろしめすかや(すめろぎ)の玉の御声のかかる嬉しさ    高山彦九郎

 館林藩士に生まれた生田万は、平田篤胤の弟子となって国学を学び、藩政改革の意見書を出したがもとで藩を追はれ、江戸で浪人暮しとなった。天保二年(1831)に帰国を許され、太田で私塾を開くことになった。

 ○しらとほふをにひた山のもる山の山守りとしも我やなりにき    生田万

 館林出身の作家。

 ○田と鋤かれ畑と打たれてよしきりの住まずなりたる沼ぞかなしき  田山花袋