佐野山・佐野の渡
高崎市山名町
多胡碑のある鏑川の下流、烏川との合流地近くの高崎市の
○佐野山に打つや
この地の山名八幡宮は、安元年中(1175〜1177)に、新田氏の祖の新田義範による創建といふ。新田氏からは山名の地名を苗字にした山名氏が出て、南北朝のころは足利氏に従ひ、山名宗全は応仁の乱の西の雄となった。佐野山の北を流れる烏川の渡は「佐野の渡し」といひ、謡曲「鉢の木」の舞台ともなった。
多胡碑のある鏑川の下流、烏川との合流地近くの高崎市の
○佐野山に打つや
この地の山名八幡宮は、安元年中(1175〜1177)に、新田氏の祖の新田義範による創建といふ。新田氏からは山名の地名を苗字にした山名氏が出て、南北朝のころは足利氏に従ひ、山名宗全は応仁の乱の西の雄となった。佐野山の北を流れる烏川の渡は「佐野の渡し」といひ、謡曲「鉢の木」の舞台ともなった。