露無の里

仙台市玉田横野 福沢神社

 むかし仙台の福沢稲荷神社の境内の脇に尼寺があった。鎌倉時代の初めに、平泉の藤原秀衡家に乳母として仕へた石塚小萩女が移り住み、ここで福沢明神の宮守をしてゐた。庵には藤原秀衡の孫娘や、佐藤継信・忠信(源義経の家臣)の母の梅辰尼も一時住んだらしい。小萩は、この地に観音堂と庵室を建て、近隣の子に学問を教へて、七十才の生涯を終へたといふ。庵の跡に、村民は一本の杉を植ゑて供養した。この杉は八百年後の今も現存するといふ。

 ○雨も降れ、風の吹くをも厭はねど、今宵一夜は露無(つゆなし)の里     小萩

 小萩女の残したこの歌により、後世この地を「露無の里」といふ。(福沢神社由緒)