紅蓮尼

松島と象潟

 むかし象潟(きさかた)(秋田県)に子どものない夫婦がゐた。観音様に通って願をかけ、運良く一人の女の子を授かった。紅蓮(こうれん)と名づけられたその子は、すくすくと育ち、やがて美しい娘に成長したので、父と母は、御礼参りのために諸国巡礼の旅に出ることにした。

 父母は、諸国をめぐって巡礼を続け、そして帰りの旅の途中で、ふとした縁で、ある夫婦にめぐりあった。その夫婦の話によると、同じやうに観音様に願かけをして男の子を授かり、同じやうに御礼参りの旅に出て、故郷の松島へ帰る途中だといふ。男の子の名は小太郎といった。互に似た境遇に心を引かれあった二組の夫婦は、しばらく一緒の旅をすることにした。やがてどちらからともなく、観音さまの御導きに違ひないのだから、紅蓮と小太郎を一緒にさせてやりたいものだと語りあふやうになった。二組の夫婦は、許嫁の約束をして、それぞれの故郷へ帰って行った。

 父母が象潟へ帰ってそのことを紅蓮に伝へたところ、紅蓮は観音さまの御縁を素直に信じ、まだ見ぬ小太郎に心を引かれてゆくのだった。幾日かかかって嫁入りの身仕度をととのへ、親子は松島へ旅立った。

 しかし松島へ着いてみると、悲しい事実が待ち受けてゐた。小太郎はすでにこの世の人ではなかったのである。非情な運命にもかかはらず、紅蓮の選んだ道は、観音さまのお引き合はせくださった小太郎のために松島にとどまり、小太郎の供養をしながら、小太郎の両親とともに暮すことだった。

 小太郎が幼き日に植ゑたといふ梅を見て、紅蓮が詠んだ悲しみの歌。

 ○植ゑ置きし花のあるじははかなきに、軒端の梅は咲かずともあれ  紅蓮

 すると明くる年の梅は咲かなかったといふ。その咲かない梅を見て詠んだ歌。

 ○咲けかしな。今はあるじと眺むべし。軒端の梅のあらむかぎりは  紅蓮

 すると梅はたくさんの花を咲かせたといふ。かうして幾年月が過ぎ、老父母の死を見とった後、紅蓮は円福寺(瑞巌寺)の尼僧となったといふ。