中将実方朝臣
名取市笠島
平安時代、藤原摂関家に生まれた藤原実方は、誤解を受けやすい奇行の人で、藤原行成との口論を一条帝に咎められ、しばらく陸奥に左遷されることになった。すぐに許されたのだが、京へは帰らず、
○桜がり雨は降りきぬ。同じくは濡るとも花の陰にかくれむ 藤原実方
○みちのくの阿古耶の松を訪ねわび、身は朽ち人になるぞかなしき 藤原実方
(右の一首は武田静澄『日本伝説の旅』による)
のちに実方の塚を訪れた西行の歌。
○朽ちもせぬその名ばかりを留め置きて、枯野のすすき形見にぞ見る 西行
東日本では、農作物に被害をもたらす雀は、実方朝臣の亡霊が化したものだともいはれる。小正月の鳥追行事で東日本の子供たちが歌った歌がある。
○おいらが裏の早稲田の稲を、なん鳥がまぐらった。
雀、スワドリ立ちやがれ。ホーイ、ホーイ
頭切って尾を切って、俵につめて海へ流す