多賀城

多賀城市市川

 神亀元年(724) 聖武天皇即位の年に、鎮守府将軍大野東人(あづまひと)によって多賀城が築かれたと「多賀城碑」にある。多賀城は蝦夷平定の軍事基地も兼ねる東国の官衙で、国府もおかれたが、鎌倉時代以降は忘れられてゐたところ、徳川時代に入って碑が発見された。碑には天平宝字六年(762) に城を修理したときのものと書かれる。この碑を田村麻呂将軍が建てた「壷の石文」だとして詠んだ歌は少なくないが、碑の価値は違ふところにあるのだらう。

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 多賀城や塩釜の近くには「松島」「野田の玉川」「末の松山」などの歌枕がある。

 ○立ち帰りまたも来て見む。松島や雄島の苫屋、波に荒らすな   藤原俊成

 ○夕されば潮風越して、陸奥の野田の玉川、千鳥鳴くなり     能因

 ○契りきな、かたみに袖をしぼりつつ、末の松山、波越さじとは  清原元輔